home > > 序 4


 さて、以上のプロフィールでお分かりのとおり、スピノザは明確な左翼でした。さっきも書いたとおり、今でも、立ち位置はリベラル・レフトだと思っています。2002年まで、スピノザは選挙の時は一貫して共産党に投票しています。
 おまけに、スピノザは人並み以上に親韓でした。
 え、どうしてかって?
 それは、スピノザがSF村の住人だったことと関連があります。
 小学生の時からSFやミステリに夢中だったスピノザは、高校生になると、SFマガジンを毎月買うようになりました。
 そのSFマガジンの常連だった作家に、豊田有恒という人がいます。この人が、毎年のように韓国に行っていて、韓国語がぺらぺらという親韓派だったのです。
 豊田有恒には、「倭王の末裔」というベストセラーがあって、いわゆる騎馬民族征服説にのっとっていました。その関係で、韓国と縁を持ったようです。(騎馬民族征服説自体は、今では顧みる人のいない学説になってしまいましたが)。
 この頃のマスコミは、どこもかしこもが親北朝鮮でした。韓国は、軍事独裁国家として忌み嫌われていました。そんな中で、果敢に韓国を擁護し、やがて韓国は自動車大国になるだろう、とまで予言する豊田有恒の姿は格好良く見えました。
 この人のエッセイを読んで、スピノザも韓国に漠然とした親しみを覚えるようになったのです。豊臣秀吉が、韓国では鬼のように憎まれ、恨まれている、ということも、彼の一連のエッセイで知りました。
 ちなみに、スピノザの妻も同じSF村の住人で、やはり豊田有恒の影響で「韓国語入門」なんて本を買って独学しようと試みたそうです。
 さらに、大学に入ってから、世界史に興味を持ったスピノザは、世界史関係の新書本などを良く読んでいました。その中に、梶村秀樹著の「朝鮮史」(講談社新書)という本がありました。
 この「朝鮮史」で、梶村秀樹は、江戸時代までは日本と朝鮮の発展段階は同じようなものだったと主張していました。
 つまり、たまたまペリーが日本にやってきて、たまたま日本の方が早く開国したから、明治維新以降、朝鮮と日本との発展段階に差がついてしまったのだ。もしも、朝鮮が先に開国していたら、逆に日本が朝鮮に後れをとっていたかも知れない、と書いてあったのです。
 現在の、在日コリアンや、本国の韓国人、北朝鮮人がする主張とそっくり同じですね。今では、噴飯ものの主張なので、苦笑してしまいます。
 それでも、その当時は、植民地史観克服、ということでこの梶村秀樹はかなり評価されていたと思います。
 こんなことがありました。
 スピノザの父親が、何かの拍子に、
「中国と日本という二つの大国に挟まれて、何とか独立を保っていたんだから、朝鮮もたいした国だ」
 と言ったのです。
 当時、反抗期真っ盛りだったスピノザは、この梶村秀樹の「朝鮮史」を盾にとり、父親に向かって、
「朝鮮は日本と対等な文明国で、決して日本が大国だったというわけではない」
 と食ってかかったのです。
 父親は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、「そうかな」とぶつぶつ言いながら寝室に行ってしまいました。
 そんな次第ですから、ソウルオリンピックのときなどは、ようやくこれで白人国家の中で孤軍奮闘していた日本に、黄色人種国家の仲間が出来た、と大喜びしたものです。
 さらに言えば、村山談話が出たときには欣喜雀躍して、これでようやく東アジアの国々に顔向けが出来る、と積極的に支持していたのです。
 さて、ここまでで、スピノザが、決してネトウヨ=ネットウヨクの若者などではなく、むしろ左翼のオサーンで、人並み以上に親韓だったことはお分かりいただけたと思います。
 では、なぜスピノザは嫌韓になったのでしょうか。
 これから、スピノザが嫌韓になったきっかけを書いていこうと思います。

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