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1 ボーイ ミーツ ガール

 さて、スピノザが嫌韓になったきっかけは、たくさんの人と同じく2002年のサッカー・ワールドカップです。
 ただし、スピノザと、ワールドカップで韓国が嫌いになった、たくさんの人たちとの間には、大きな違いがあります。
 それは、スピノザがサッカーに全く興味がない、ということです。
 と言うより、スポーツ一般に余り興味がないのです。
 スピノザは、合唱の指揮者をしていて、趣味で小説を書く文弱の徒なのです。運動神経はお話にならないので、スポーツはすることも見ることもあまり興味がありません。

 では、どうして? ワールドカップ?

 それは、いささかスピノザの個人的な事情と関係があります。
 当時(今もですが)、スピノザは鞭打ちの後遺症に悩まされていました。赤信号で停車していたところを、よそ見運転のおばちゃんに追突されてしまったのです。
 その後遺症は酷いもので、半年休職せざるをえないほどでした。しかも、休職は一回や二回ではありませんでした。おまけに、その状態で無理をしたために、重いうつ病にかかってしまいました。
 それで、スピノザは、教員を続けるのに限界を感じ始めていました。立って授業をすることが本当に辛かったからです。
 スピノザは、何とか物書きで生計を立てることはできないか、と考えるようになっていました。パソコンの前に座って、文章を書くことぐらいなら、どうにかできると思ったからです。デビューには繋がらないような、小さな賞は一応いくつか取っていました。
 さて、その休職中、スピノザは新人賞に応募するべく、ミステリやホラーを書いていました。
 孤独な作業です。
 楽しみは、同じように苦闘している、デビューしたての新人作家たちの日記を読むことでした。この当時は、まだブログは普及していませんでしたから、新人作家たちはホームページを作り、そこに日記を挙げていました。
 異変は、ある日突然起こりました。
 それまでは、創作の苦労話や編集者とのやりとり、日常の雑記などが書かれていたそれらの日記に、申し合わせたように、一斉に韓国に対する激しい批難の声が載せられたのです。
 曰く。韓国選手のプレーが汚い。というより、故意に反則に値する乱暴なプレーをしている。
 曰く。審判の誤審が酷い。いや、むしろ買収されているのではないか。
 曰く。目の前の試合そっちのけで、日本が負けたときに大喜びしていた。
 中には、過去のソウル・オリンピックなどでの日本選手に対する激しいブーイングを思い出して、あの国とは絶対に分かり合えない、という人すらいました。
 スピノザは、困惑しました。
 プレーが汚いとか、審判が買収されているなどという点については、サッカーに興味がなく、ワールドカップも見ていなかったスピノザには何も分かりませんでした。
 ただ、日本に対するブーイングに関して言えば、豊田有恒のエッセイなどで、いかに韓国人が秀吉の朝鮮出兵や、日帝による支配などを昨日のことのように恨んでいるか、を知っているつもりだったスピノザには仕方のないことに思えました。
 しかし、それにしても異常です。
 スピノザがよく見ていた日記は、十や二十ではきかないのです。その八割方が、この話題で興奮しているのです。
 不思議です。
 当時のスピノザは、日本人であるその作家たちが、韓国人の味わってきた過酷な歴史について無知だからこういう事態が起こるのではないか、と思いました。
 韓国人の恨(ハン)は、それこそ百年や二百年では晴れないものと思っていたからです。
 それにしても、いつもは冷静な日記を書いている、知的な人々の怒りの激しさは尋常ではありません。沸騰している、と言っていいくらいです。
 どうしても合点がいきません。
 調べてみることにしました。
 サッカーというのは、ある意味で若者の文化です。
 今でもそうですが、当時も若者が多く集うネット上の場所と言えば、2ちゃんねるでした。
 そういう情報を、手早く、手軽に得ることの出来る場所として、2ちゃんねる以上の場所はありません。そこに行ってみようと思いました。


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