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3 好き? 嫌い? どっち?

 在日コリアン知識人の最高峰である、東大教授の姜尚中氏が、その著書「愛国の作法」(朝日新聞社)で、皮肉にもこんな一文を引用しています。p36です。

――何も知らない者は何も愛せない。何もできない者は何も理解できない。何も理解できない者は生きている価値がない。だが理解できる者は愛し、気づき、見る。……ある物に、より多くの知識がそなわっていれば、それだけ愛は大きくなる。――

 ルネッサンス期スイスの学者、パラケルススの言葉だそうです。
 そうなんです。
「ある物に、より多くの知識がそなわっていれば、それだけ愛は大きくなる」
 はずなのです。
 なのに……。
 様々な疑問を抱えつつ、とにかくスピノザは、ハングル板を読んでみることにしました。最初から相手を差別主義者と決めつけ、レッテルを貼るのも良くないだろうと思ったからです。
 そして、とにかくその情報量の多さに圧倒され、これなら、中には玉のような情報もあるだろうと期待したからです。
 読んでみました。
 六月半ばからですから、二ヶ月ぐらいかかったでしょうか。数百あるスレッドのほとんどを読破しました。
 呆然としました。
 圧倒されました。
 そこには、確かに差別的な書き込みもありました。いわゆる、嫌韓厨ですね(笑)。
 しかし、それ以上に真摯な論考、と言ってもいいような書き込みが多かったのです。終始、冷静で、論理的かつ実証的でした。
 嫌韓というのとは違います。言ってみれば知韓という方が当たっているでしょう。
 むしろ、ハングル板の住人は、朝鮮半島ウォッチが趣味の朝鮮半島オタクと言ったほうがいいかも知れません。
 それこそ
「より多くの知識をそなえ」
 た人々だったのです。
 2ちゃんねるというのは、ちょっと汚い言い方ですが、俗に「便所の落書き」と呼ばれています。事実、書き込みの九割はゴミでした。
 しかし、残り一割は、真剣に傾聴するに値する議論、論考です。そして、ゴミはゴミ同士、真剣な議論は真剣な議論同士引き合う関係にあります。
 いわゆる、ニュース速報、などは、ほとんどがノイズと言っていいでしょう。東浩紀や北田暁大などを初めとする、2ちゃんねるを批判するいわゆる文化人≠スちは、多分こういうノイズの部分を中心に読んでいるのだと思います。
 しかし、彼らの言に反し、ハングル板のいくつかのスレッドは、豊富な知識と、智慧と、鋭い論理に裏打ちされた、真面目な論考で充ち満ちていました。

 では、真面目な論考を見分ける基準はなんでしょうか?

 それは、議論の論理構成。そして、なんと言ってもその議論が、信頼するに足りる一次資料(ソースと言います)に基づいているかどうか、です。普通の学問と同じです。
 ハングル板は、その性質上、在日コリアンの方々も多く書き込み、論戦を挑んできます。
 そのため、議論の基盤になるソースがあやふやなものは、たとえ日本人に都合のいい言説でも相手にしない。そういう、ソース至上主義が守られていました。
 ソースが不確かだったり、論理に破綻があったりすれば、すかさず在日コリアンがそこを突いてきます。ですから、必然的に議論の質が高まります。
(北朝鮮人、韓国人、在日朝鮮人、在日韓国人、さらには在米韓国人、在中朝鮮人、全てを包括する呼称としては、昔から使われている朝鮮人が、一番相応しいとは思います。しかし、朝鮮人という呼称には、差別的なニュアンスがある、ということで嫌う人もいますので、これからは多少は中立的な気分のするコリアンという呼称を主に使います)。
 ハングル板では、議論の論理的整合性は、当たり前のように求められていました。信頼できる一次資料の提出も当然でした。
 で、この議論のときに、コリアンらしき人物が使う日本語が覚束ないのですね。それを、日本人(とおぼしき人物たち)がからかう。
 でもね、最初、スピノザは、そのコリアンらしい人物たちを、てっきり韓国からの留学生だと思っていたんですよ。
 それほど、日本語が怪しいし、日本人なら誰でも知っている常識、例えば竹取物語とか、桃太郎とか、を知らない。
 だから、それをからかっちゃいけない、と思っていたんです。
 そんなわけで、彼等が、在日コリアンだと知ったときは、衝撃でした。それこそ、肝を潰しました。
 スピノザは、在日コリアンは、帰化こそしていないものの、日本人に紛れてひっそりと暮らし、日本人とほぼ同じ情報を得ているものだと思い込んでいたのです。
 それなのに、彼等の日本語は相当変だし、あまりにも常識が無さ過ぎます。スピノザの高校の同窓生だった韓国からの留学生よりひどい。
 当時は、生野だの新大久保だの猪飼野だのというコリアンタウンの存在は知りませんでした。そういう場所では、日本語をほぼ使わずに生きていけるなんてことも知りませんでしたし。
 ううむ、深い世界だなあ、と感じ入りました。
 スピノザの予想に反し、2ちゃんねるに集う若者たちの知識量は圧倒的でした。またその知力も。
 自慢していると笑われそうで、ちょっと気の引ける言い方になりますが、スピノザは、中学校の時の知能偏差値が79ありました。知能指数に換算すると、150から160ぐらいというところでしょうか。そんなに頭は悪くないつもりです。
 ところが、いわゆる2ちゃんねらーには、スピノザには想像もつかないほど頭の切れる人がたくさんいるのです。彼らは、何とユーモアの感覚さえ身につけていました。
 と言うより、ユーモアのセンスなくして、2ちゃんねるを楽しむことは、不可能でしょう。(パソコンで打てる文字だけを組み合わせて作る、アスキー・アート、通称AAなどの秀逸なセンスを見れば、美的感覚も優れているのでしょう)。
 誰かの発言に、他の誰かが返答することをレスを付ける、と言います。そのレスの進行具合が、時によっては神がかるのです。
 言ってみれば、連歌で歌仙を巻く芭蕉とその弟子たち、という風情です。ベタな連想は、嫌われます。代わりに、一種の匂い付けのような高度なやりとりが、秒単位で行われるのです。豊富な知識を背景に。
 ですから、場合によっては、三人寄れば文殊の知恵、というごとく、素晴らしい集合知が顕現することになります。そういう場面に、リアルタイムで立ち会うと背筋がゾクッとするほどの感動さえ覚えます。
 もっとも、より多くの場合において、船頭多くして船山に上る、という惨状になることにもなりますが。


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