17 ウリとナムとは風見鶏
で、ここから、さらに日本人には理解しがたい現象が起こってきます。実は、このウリとナムは、自由自在、融通無碍に交換し合うのです。
つまり、今さっきまでナムだった個人や団体が、次の瞬間にはウリに変貌してしまう、その逆もまたしかり、などということが起こるのです。
別に、昨日の敵は今日の友、なんて麗しい話ではありません。
例えばこんな話があります。これも、例によってソースになる本を売り払ってしまったので、明確なソースを示せません。おまけに、朧気な記憶ですが、ケンチャナヨ(気にしない)。
ある日本人、仮にCさんとしておきましょう。そのCさんが、韓国で、自分のアパートの駐車場に車を停めようとしたところ、Cさんのスペースに他の車が停まっていたのだそうです。
それで、Cさんは、しょうことなしに一時的に他の人のスペースに車を停めようと思ったのだそうです。
そこに、間の悪いことに、その駐車スペースの持ち主が帰ってきました。
その持ち主にとっては、Cさんは、当然ナムです。で、持ち主は激しく怒り、Cさんを罵ります。韓国語は、とにかく相手を罵倒する語彙には事欠きません。
「やーい、お前の母ちゃんでべそ!」
ぐらいしか罵倒語を持たない我らが日本語とは、偉い違いなのです。マザー・ファッカーなんて、可愛く思えるような、ここには書けないような罵倒語がたくさんあります。
で、Cさんは、青くなりながら平身低頭謝ります。そして、自分も、このアパートの住人であることを、なんとか説明します。
さあ、この瞬間です。
この瞬間に、Cさんは、スペースの持ち主のナムから、スペースの持ち主のウリに豹変してしまうのです。同じアパートの住人同士は、ウリなのです。
そして、韓国人であるスペースの持ち主の態度も一変します。
ついさっきまで、顔を真っ赤にしてCさんを罵倒していたスペースの持ち主は、途端に穏やかな笑顔になり
「どうぞどうぞ、駐車スペースなんて減るもんじゃありませんから」
などと言うのです。
真っ青になっていたCさんは、拍子抜けしてしまいます。
ウリとナムというのは、こんな風に、コリアンの立ち位置が変わると、風見鶏のようにくるくると変貌するのです。
韓国人、と言うより、朝鮮民族のナム¢謌齠凾ヘご承知かと思いますが日本(イルボン)です。日本こそは、憎んでも余りある親の仇以上の民族の仇敵なのです。
ところが、訳の分からないことに、韓国人の都合により、時として日本は韓国のウリ≠ノなってしまうのです。
例えば、全斗煥大統領の時代、韓国が経済危機に陥ったときに、日本に対して
「60億ドルの経済援助をよこせ。びた一文まからん」(資料A)
(資料A)
と言ってのけました。
当時の園田外相は、
「韓国は嫌いな国から金を借りたり、技術を教えてもらう社会習慣があるのか」
というようなことを言ったそうです。(ウィキペディア)結局、40億ドルに減額して借款したようです。
この、びた一文まからん、といった言い方。これは、端的に言って、日本に対する甘えですね。こういう甘えが許されるのは、ウリの間だけですから、この時、全斗煥政権下の韓国にとっては日本はウリだったのです。
(この、びた一文まからん、発言。園田外相の国会答弁をニコニコ動画で見ました。動画では、「びた一銭」と言ってますね。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4977994
爆笑して転げ回りました)。
先ほど出てきた、田麗玉の言葉。
「いやでも日本は我々の目標であり、全世界で我々を助けてくれる唯一の国なのだ(中略)我々には日本しかない」
を思い出してください。
「全世界で我々を助けてくれる唯一の国」
「我々には日本しかない」
これが、ウリでなくてなんでしょう。