19 伸縮自在のウリ
今まで見てきましたように、ウリは、自由自在に、コリアンの身勝手な都合で伸縮します。
とは言っても、ウリが最高に広がっても、ウリミンジョク=朝鮮民族ぐらいがカバーする最大限の範囲のようです。
間違っても、地球人みんながウリなんてことにはなりません。(まあ、金をたかるときだけ、日本がウリになったりはしますが。これは例外中の例外)。
時折コリアンが、アジアがどうたらこうたら、と言うときがあります。しかしコリアンには、アジア人、なんていうアイデンティティはありません。だから、中国人やインド人がウリになることも、ありません。
まあ、コリアンが言うアジアというのは韓国、北朝鮮、中国の三ヶ国のみを指すんですね。東南アジアや、インド、ましてイラン、イラクなどを含むことは絶対ありません。
2ちゃんねるでは、この三ヶ国を他のアジア諸国から区別するために、特定アジア、特アと呼びます。各種調査などで、日本に反感を持っている人のパーセンテージが半数を超えるのは、
この特亜三国だけです。
もちろん、場合によっては、コリアンの都合でウリは縮むこともあります。
ほぼ極小、と言ってもいいウリは、家族、身内です。友人、知人は斬り捨てられます。
しかし、本当の危機、絶体絶命の場合となると、ウリはさらに縮みます。
ウリは、自分自身のみになるのです。
親兄弟どころか、子供でさえも、ナムになってしまいます。
みなさんも、脱北者、という言葉はご存知だと思います。
スピノザは、脱北者のニュースを聞いたり、見たりしていて奇異に思い、不思議で、どうしても納得できなかった点があります。
それは、多くの脱北者が、一人≠ナ脱北してくる、ということです。
つまり、両親は元より、夫や妻や、兄弟姉妹どころか、可愛いはずの我が子でさえ捨ててたった一人で脱北してくる。
迫害を恐れて亡命する、というときに、真っ先に思い浮かぶのは「サウンド・オブ・ミュージック」のトラップ一家です。彼らは家族総出でアルプス山脈を越えて亡命します。
そうです。パレスチナ難民にしろ、チベットからの亡命者にしろ、難民は一家・家族で行動するのが普通です。
それなのに、脱北者は、たいてい一人で脱北してくる。
そして、安全な韓国や日本に落ち着くと、残してきた家族が心配だ、と言いながら日本や韓国に何とかしてくれと訴え、ねだる。
これは、実は、ウリが極小化して、自分個人になっているんですね。
家族でさえ、脱北の瞬間にはナムになっている。
そして、安全を確認した後に、ようやく家族がウリに戻る。
こういう心性が、スピノザは嫌いです。
こうした点について、前述の古田博司氏が、前掲書のp19で、こんな発言をなさっています。( )はスピノザ。
――(韓国人の人間関係は)粘着か反発か、ねっとりとした一体感か両者はぜるような異物感か、どちらかである。もともと他者との亀裂が驚くほど深いのだ。のぞけばめまいのするような深さである。――
他者との亀裂が深い=Bなんという含蓄の深い言葉でしょう。
これこそが、コリアンの人間関係の真髄だと思います。近代的個我≠ヘ発達していないのに、本当の意味では、コリアンは絶望的なまでに孤独なのです。