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2 朝日のキャンペーン

 実は朝日は、その少し前から、従軍慰安婦キャンペーンを行っていたのだそうです。もちろん、スピノザにとっては後付けの知識ですが。以下に整理しておきます。
「WILL」2007年5月号 西岡力論文『すべては朝日新聞の捏造から始まった』67〜68頁、を参考に書きますと。
 1991年8月12日、ソウル発、植村隆記者の署名入りで書かれた、『女子挺身隊の名で連行された朝鮮人従軍慰安婦のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり……』で始まる記事が、その嚆矢でした
 さらに朝日は、翌年にかけて〈従軍慰安婦〉問題の連載キャンペーンを展開します。吉田清治著の「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」にある、
『昭和18年(1943年)に軍の命令で韓国の済州島で女性を強制連行して慰安婦にした』
 という体験談を、四回にわたって連載したのです。
 そうやって、着々と道を整備した上で、朝日は前述の一大キャンペーンを張ったわけです。でも、当時のスピノザは、そんなことには思い至りませんでした。
 なるほど、女性を強制連行して、強制的に売春婦にさせたのなら、話は違うな。それは日本軍が悪いだろう。でも、まあ戦時だしな。そういうこともあっただろう。
 第一、民間人の無差別虐殺である東京大空襲や各地の空襲、それに広島、長崎の原爆投下なんてことも起こるんだから。それが戦争というものだ。そんなことを思いました。
 ここからも後付けの知識ですが。一応整理のために。
 この朝日新聞記者、植村隆のスクープの三日後に、元慰安婦だったという金学順なる女性が名乗り出て、韓国で記者会見を行います。

 あれ! おかしいですね?

 なぜ、慰安婦本人が名乗り出る三日前に植村記者はスクープできたんでしょう?
 そこには、こんなカラクリがあります。
 金学順さんも加わっている慰安婦問題訴訟の原告組織「太平洋戦争犠牲者遺族会」というのがあります。植村記者は、そのリーダー的存在である、梁順任常任理事の娘の夫なのです。
 つまり、慰安婦訴訟の原告のリーダーが、植村記者の義理の母だったのです。それで、金学順さんの単独インタビューがとれたというカラクリです。
 なんのことはない。植村記者は、身内の私利私欲のために新聞という公器を利用したのです。
 更に西岡氏は、植村隆が義母の裁判を有利に運ぶために、金学順さんが、親によって「キーセンに売られた」と話している事実を、意図的に隠蔽したことも糾弾しています。


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