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9 吉田清治という嘘つき男

 さらに、櫻井さんは続けます。( )内はスピノザ。p21です。

――「募集を含めての旧日本軍による(従軍慰安婦の)強制連行があった」ということの根拠になっているのが、日本人の書いた二冊の本です。千田夏光氏と吉田清治氏の著書です。
 吉田清治氏の本は、虚構に満ちた本であることがすでに広く認められています。千田夏光氏の本についても、多くの疑問が提示されています。――

 これも後知恵になりますが、従軍慰安婦、という言葉が最初に捏造されたのは、千田夏光の「従軍慰安婦正編」という本においてです。1973年のことですから、ずいぶんと古いんですね。
 この本に、日本本土出身者を含む、慰安婦が20万人いた、という記述があります。それを尹貞玉という、後に従軍慰安婦問題の活動家になった女性が、朝鮮半島出身の慰安婦20万人、と誤読したことが、問題をよりややこしくしました。
 注意してください。先ほども書きましたが、慰安婦の大半は日本人女性だったのです。
 でも、この千田夏光が本を出した時には、さほど騒ぎになりませんでした。当時は、真相を知っている人が大勢いたので、ひっそりと黙殺されたんですね。
 問題は、吉田清治です。
 吉田清治は、1983年に、
「私の戦争犯罪」
 という本を出版しました。
 どうやら、いわゆる南京大虐殺≠捏造した、本田勝一の1970年の本「中国の旅」から影響を受けた模様です。もっとも、この「私の戦争犯罪」の前から、ちょこちょこと従軍慰安婦問題については発言しているのですが。
 なにしろ、反省することが大好きな日本人です。本田勝一が捏造した南京大虐殺や、三光作戦などという、旧日本軍が行ったとされてしまった残虐行為に、日本中が反省ムード一色になりました。
 しかも、そのムードは、長く続きました。
 スピノザも、そういうムードにどっぷりと浸っていた一人です。
 そこに、つけこんで、一山当てようとしたんですね。
 吉田清治は、この本の中で、済州島の村(城山浦・法環里など)に行き、兵隊を率いて、手当たり次第に女や娘をトラックに放り込んで強制連行した、と虚偽の証言をしました。
 吉田清治は、この後、何度も韓国に渡り、告白と謝罪を繰り返します。
 もちろん、講演料はもらったものと推測できます。
 さらに、話を面倒くさくさせたのが、前述の千田夏光が、その「従軍慰安婦正編」の中で、
 女子挺身隊、
 つまり勤労動員された少女たちも慰安婦にされた、とこれまた虚偽の記述をしたことです。
 もちろん、女子挺身隊が、慰安婦にされた例は、今まで一例も見つかっていません。
 いたら、それこそ大ニュースです。日本も韓国も、スズメ蜂の巣を百個も万個もひっくり返した以上の大騒ぎになることでしょう。
 でも、当初は、この吉田清治の本も、日本では一顧だにされなかったのですね。
 まあ、韓国では「勇気ある唯一の告白者」扱いされたそうですが。
 この「体験談」は拓殖大学教授(当時)秦郁彦氏の現地調査により虚偽であることが判明しました。
 秦郁彦氏の著書「慰安婦と戦場の性」(新潮社)から引用します。p233です。

――しかしこの本(「私の戦争犯罪」・スピノザ注)に記述されている城山浦の貝ボタン工場で15〜16人を強制徴発したり、法環里などあちこちの村で行われた慰安婦狩りの話を、裏づけ証言する人はほとんどいない。
 島民たちは「でたらめだ」と一蹴し、この著述の信憑性に対して強く疑問を投げかけている。城山浦の住民のチョン・オクタン(85歳の女性)は「250余の家しかないこの村で、一五人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」と語った。
 郷土史家の金奉玉(キムボンオク)は「1983年に日本語版が出てから、何年かの間追跡調査をした結果、事実でないことを発見した。この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と憤慨している。――

 どうでしょう。当の韓国人から、
「この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」 なんて言われているんですね。
 秦郁彦氏の調査の後、吉田清治本人も一部がフィクションであることを認めます。しかも、前述の1992年の大キャンペーンを行った朝日新聞も、
「(事実関係を)確認できない」
 という事実上の訂正記事を、後に出しました。
 でも、朝日は、きちんとした謝罪≠ヘしていないんですね。

 姑息です。

 朝鮮人慰安婦が、
「女子挺身隊として戦場に連行された」
 という話に至っては噴飯ものもいいところです。
 捏造もここに極まれり、という感じですね。
 そもそも、女子挺身隊が創設されたのが、1943年です。この時は、14歳以上の女子が動員されました。
 翌年、1944年に、12歳以上に改正されます。もう、終戦間際です。
 ちなみに、この当時の義務教育は、小学校六年、12歳まで。卒業すれば、働くのは当たり前でした。
 で、金学順が、慰安婦にされたと申告している年が、1941年です。1944年の、3年も前の話です。
 女子挺身隊であるはずがない。
 他の、自称元慰安婦たちも、年齢から言って、女子挺身隊であった可能性はほぼゼロです。
 金学順は、親によってキーセンとして、40円で売られたと、裁判の訴状ではっきり書いてます。(西岡力・前掲論文p66)
 要するに、全てが、嘘、捏造なんですね。
 虚言癖のある人間というのは、確かにいるものでして、吉田清治や、本田勝一はそういう人種なんでしょう。
 まあ、後知恵で、こうして振り返ってみると、自分・スピノザの愚かさに、つい笑ってしまいますが。


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