10 恫喝屋・金両基
さて、「海峡は越えられるか」に戻りましょう。ここまで櫻井さんは、淡々と、かなり抑えた口調で事実のみを語ってきました。次は、金両基の番です。
期待し、身構えました。
だって、この頃は、スピノザは幼女誘拐強姦としての、従軍慰安婦の強制連行が本当にあったかどうか、まだ半信半疑だったのです。
もし、それがなかったのだとしたら、スピノザは、それまで生徒に嘘を教えてきたことになります。それは、教員として最も恥ずべきことです。
ですから、スピノザは、半ば祈るような気持ちで、息を詰めて見守りました。
どうか、金両基が出す一次資料≠ェ、真っ当なものであってくれ。
と願いながら。
で、金両基の第一声がこれです。
「本当に謝っているのですか? 疑問です」
え!
な、なんでしょう。これは?
この討論の第一目的は、金両基の言によれば、
「かぎりなく一次資料を出し合って、事実を確認し、それに基づいて議論を展開」
することだったはずです。
一次資料を出す
これが、両者の合意事項だったはずです。
そして、その一次資料の正誤を議論する。そのことによって、従軍慰安婦の強制連行があったかどうかを検証する。
これが、目的だったはずです。
なのに、金両基は、いきなり、
恫喝
してきたのです。
「本当に謝っているのですか?」と。
議論も、検証も、へったくれもあったもんじゃありません。
いやあ、居丈高に、金両基が櫻井さんを叱り付けている(と本人だけが思っている)光景が目に浮かびます。これは、櫻井さんを、自分より年下の女性と侮ったからとった態度です。
その証拠に、金両基は、この討論の後に行われた、精神分析学者の岸田秀との対談「日韓いがみ合いの精神分析」(この本も、中公文庫から出ています)においては、岸田秀相手に、対等というより、むしろへりくだった態度を示しているのです。
その態度は、いっそ卑屈、と言いたいくらいです。
相手が、男で、高名な学者だからです。
スピノザは、こういう卑しい姿勢、精神が大嫌いです。
相手の性別や年齢、そして何よりも肩書きで接する態度をコロコロと変える姿勢、精神のことです。
スピノザは、城下町に生まれ育ったこともあり、少々男尊女卑的な思考をする傾向にあります。
しかし、相手が女性だから、その知性までも卑しめる、なんて考え方はしたことがありません。
事実、スピノザが最も尊敬する現代作家は、倉橋由美子と笙野頼子です。「源氏物語」も、「枕草子」も、愛読とまではいきませんが、一応なんとか通読して、紫式部、清少納言の知性、感性には、半ば畏れを含んだ敬愛の念を抱いています。
いや、ことをそんなに大袈裟にする必要もありません。
24年組、と呼ばれる少女マンガ作家たちがいます。青池保子、萩尾望都、竹宮惠子、大島弓子、山岸凉子、などを代表とする、少女マンガ作家たちです。揃って、昭和24年前後に生まれたので、こう呼ばれています。
彼女たちの、男性作家にはおよそ想像することも出来ない、鋭い感受性の表現は、思春期のスピノザに大きな影響を与えました。その鋭利さ、柔らかさは、男性作家が遠く及ぶことの出来ない新境地を切り開きました。
スピノザは、彼女たちを、心から尊敬しています。卑しめることなど、考えつくことすら出来ません。
なのに、金両基は、櫻井よしこさんが女性であり、年下であり、学者ではなくジャーナリストだから、と侮ったのです。
こういう精神には、嫌悪感しか感じません。