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5 朝鮮人のイメージ

 日本に帰化した、元在日韓国人に鄭大均東京都立大学助教授(当時)という学者がいます。彼が書いた、「韓国のイメージ」(中央公論社)という本があります。
 この「韓国のイメージ」で、鄭大均氏は楠弘閣が1939年に行った世論調査と、やはり楠弘閣が1949年に行った世論調査を比較しています。
 これは、「日本人学生」の15の「諸民族」に対する好悪感を調査したものです。(資料C)(同書p3)

(資料3)

 興味深いのは、朝鮮人に対するイメージが、劇的に変わっていることですね。
 1939年には、朝鮮人は好感度が、15民族中5位でした。まあまあいい位置につけていますね。
 決して嫌われているとは言えないランクです。
 それが、1949年には、15民族中十五位の最下位にまで転落しているのです。
 とんでもないイメージダウンです。
 戦前の朝鮮人に対するイメージがよかったのには、訳があります。それは、朝鮮人が、いわゆる順民≠セったからです。つまり日本の支配に大人しく、従順に服していたんですね。
 日韓併合の時も、世界史的に見れば抵抗らしい抵抗はありませんでした。まあ、高校日本史の教科書的には、義兵の抵抗というのはあるにはありました。けれどもそれは、最大勢力で3000名ほど。
 大したものではありません。
 逆に、一般のイメージとは違い、台湾では激しい抵抗運動がありました。
 特に、日清戦争直後、台湾割譲時には、台湾の有力者が設立した「台湾民主国」が割譲を拒否します。「台湾民主国」自体は、すぐに瓦解しますが、現地人たちの抵抗は激しかったのです。

――日本軍の占領後、台湾の軍隊が逃亡した後は、南進も簡単に行くとおもわれたが、住民の抵抗がすさまじく、容易に成し遂げる事は難しかった。婦女までが兵士のように戦闘に加わったと記録に残っているほどだ。全島の鎮圧に5ヶ月を費やしたが、日本軍の死者は267人、竹槍などの旧式の武器で応戦した台湾人の死者14000人とされている。まさに玉砕戦の様子を呈している。10月21日、台南への無血入城を果たし、台湾の平定は終了した。――
(「台湾の歴史」というサイトから引用させていただきました。ありがとうございます)。

 14000人が亡くなった。
 こうした強烈な抵抗の後に、台湾は徐々に日本の支配に服していったんですね。

 これに対して、朝鮮人は、唯々諾々と日本の支配に服しました。

 ですから、それまで大人しかった朝鮮人の、掌を返したような態度に、日本人は驚愕し、呆れ、かつ恐れたんですね。
 しかし、きちんと抵抗した後に、自覚的に日本統治下におかれた台湾人は、そんな乱暴狼藉を働かなかったようです。
 蔡焜燦氏の「台湾人と日本精神」(小学館)を読む限り、そうだと思います。
 で、戦後初期には、日本は焼け野原ですし、日本人もしょぼんとしていましたから、コリアンはやりたい放題だったんですね。日本人が、戦場や疎開先から帰ってくると、コリアンが勝手に縄を張って土地を占拠している、などということが普通にあったようです。
 そういうわけですから、この頃のコリアンには、日本国籍を取得する、などという選択肢はありませんでした。
 敗戦国民より優位な地位にいる三国人から、わざわざ敗戦国民になどなる必要がない。
 ですから、昭和27年のサンフランシスコ講和条約で、併合地・植民地出身者が日本国籍を喪失したときにも、帰化してまで日本国籍を取ろうとするものは皆無だったと思われます。
 そして、韓国、北朝鮮にしてみれば、在日コリアンは全員自国の国民であることは自明です。
 そんなわけで、そもそも国籍を選択させる、などという発想も湧いてこない。
 だって、戦勝国民のつもりですから。
 よく、朝日などの投稿欄で、
「我々は、日本国籍を剥奪された」
 という主張を見かけますが、これは完全なる嘘、ごまかしです。
 実際、韓国政府も、北朝鮮政府も、また在日コリアン自身でさえ、日本国籍を要求した事実はありません。


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