home > 第三章 > 6 何もかもぶち壊し


 
6 何もかもぶち壊し

 こうした在日コリアンの優位性に、陰が差す一大事件が起こります。そうです。1950年の朝鮮戦争勃発です。このため、いったん朝鮮半島に帰ったコリアンたちが、大挙して難民として押し寄せてきます。
 この辺のコリアン史は、整理されていないらしく、どうも実態が良くつかめません。ただ、この辺りで、日本に密航してきたコリアンが相当数いたことは確かなようです。
 例えば、東京経済大学教授の、徐京植が、自らの叔父について、次のように語っています。叔父は、戦後いったん韓国に帰ります。しかし、そこは思ったより荒廃した世界だった。
 で、次のようになります。
「秤にかけてはならない」影書房p119〜120

――子供だったおじは「難民」となり「不法入国者」となって日本の兄のもとに流れ着きました。小さな密航船の船底、窒息しそうに蒸し暑い場所で機械油のドラム缶に首まで浸かって三日三晩を過ごしたそうです。(中略)私たち一家は何年もの間、こうして転がり込んできたおじを官憲からかくまっていました。おじは強制退去を恐れて、学校にもろくに通えないまま成人しました。――

 ま、こんな具合です。
 密航者数は、20万とも、40万とも言います。(それにしても、機械油のドラム缶に首まで漬かり、って、それで皮膚呼吸できたんでしょうか。どうも虚偽くさい)。
 日本にしてみれば、暴れ回る朝鮮人を、やっと厄介払いできたのですから、再入国を認めないのは当然の理です。
 責められるいわれは、ありません。
 そうこうするうちに、戦後日本は驚異的な回復を見せます。
 これは、当然なことなのに、見過ごされがちですが、

 戦後しばらくは、日本は焼け野原でした。

 それに対して、戦場にならなかった朝鮮は、日帝が残していったインフラもありますから、工業も、農業も豊かな国になる好条件を備えていました。日本より、韓国・北朝鮮の方が、スタートは恵まれていたのです。
 ここにも、彼らが日本国籍を選ぶはずがない理由が見て取れます。
 それを、全てぶち壊しにしたのが、朝鮮戦争という、同民族による殺し合いだったわけです。
 朝鮮戦争については、文献はたくさんありますので、そちらをご参照下さい。


次へ

inserted by FC2 system