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10 差別と果てしない殺し合い

 さて、朝鮮戦争は、1953年に一応休戦となります。
 注意すべきなのは、この戦争は単に休戦しただけで、終戦したわけではないということです。
 もちろん、平和条約など締結されていません。いつでも、また戦争を始められる、取りあえず、撃ち方止め、の状態な訳です。
 おまけに、なんと、

 この休戦協定には、韓国は参加していない≠フです。

 強欲な、韓国初代大統領である李承晩が、北進して北朝鮮を平定することを頑強に主張し、協定の調印式に出席しなかったからです
 朝鮮戦争では、韓国軍はなんの役にも立たず、主に戦ったのは米軍を中心とする国連軍であったにも関わらず、です。
 つまり、韓国は休戦さえしておらず、現在も戦時中のまま、ということになります。
 でも、まあ、取りあえずは、戦闘状態は終息しました。
 では、難民としてやって来た(中には、密航者もいたでしょう)在日コリアンは、国に帰ったのでしょうか?
 いやいや、なかなかそうはいきませんでした。
 第一、帰っても、朝鮮戦争で国土は荒廃しています。それを自分たちだけの力で一から復興させるよりなら、
 既に、勤勉な日本人の手で復興しつつあった、日本にいた方が何かと有利です。
 おまけに、もっと深刻な事情もありました。
 済州島四・三事件、という事件があります。これは、1948年4月3日から始まった一連の虐殺事件を指します。
 済州島は、昔は耽羅という独立国でした。そのため、地方差別の激しい韓国では、最も差別されていた地方でした。
 これは、他の道(日本でいう県に当たります)にも当てはまります。ソウルのある京畿道からは、他の道は差別されます。
 特に、昔百済だった全羅道は、新羅の末裔である人々から徹底的に差別されています。(なんだか、風水の関係もあるらしいです)。
 ですから、全羅道出身の金大中が初めて大統領になったときは、全羅道出身の人々全員が泣いて「恨が解けた」と言ったそうです。
 済州島は、こういう土地柄ですから、太平洋戦争の終戦後、急速に共産主義が浸透していきます。そして、この共産主義者たちが、南朝鮮労働党を組織し、1948年4月3日に一斉に蜂起したのです。
 南朝鮮労働党によるこの蜂起は、韓国政府によって徹底的に鎮圧されました。そして、島には恐ろしい粛清の嵐が吹き荒れることになります。
 この嵐は、1954年の9月まで延々と続き、結果として島民の5人に1人に当たる6万人が虐殺されました。おまけに、島の村の7割が焼かれたといわれています。
 実は、在日コリアンの多数が、この済州島虐殺から逃れてきた人なのです。多分、混乱のさなかですから、密航してきたのでしょう。
 もちろん、朝鮮戦争時にも大量の難民が密航してきています。どさくさに紛れて経済的理由で密航してきた人も多いようです。
 大手パチンコ店、マルハンの韓昌祐会長も、
「韓国にいても稼げないので密航して来た」
 と2005年のテレビ番組で発言しています。
 こうした密航などで新しくやって来た人々を、ニューカマーと言います。こうした人々は、本来は特別永住資格を持たないはずです。でも、日本も戦後の混乱期ということもあり、国籍を買ったりしてその資格を得ています。
(特別永住資格≠ナある点に注目してください。これは、権利≠ナはありません)。
 まあ、こんな具合では、在日コリアンも怖くて朝鮮半島には帰れないわけです。


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