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13 帰国と棄民

 さてと、それで、1959年から、いわゆる在日朝鮮人の北朝鮮への帰国事業が始まります。
 でも、この時日本にいた在日コリアンの大多数は、現韓国の地域出身でした。なかんずく、済州島出身者が多かったのです。
 しかし、韓国は、これらの難民同然の人々の受け入れを拒否≠オました。
 棄民政策ですね。
 難民なんて帰ってこられても、困るというわけです。要するに、日本に渡った半日本人(パン チョッパリ)は、ウリではないんですね。
 それどころか、いわゆる李承晩ラインで拿捕・抑留されていた日本人の返還条件として、密入国者を、収容所から解放するように要求したのです。
(李承晩ラインというのは、韓国初代大統領・李承晩が、日本海海上に勝手に引いた国境線です。日本と国連軍のサンフランシスコ講和条約締結の際に、国連軍=戦勝国側として参加できなかった腹いせですね。このラインを越えた日本の漁船が多数拿捕されました。この際に44人の死傷者が出、3929人もの日本人が抑留されました。竹島が、韓国領側に編入されたのも、この時です。日本は、もちろんこの3929人を見捨てたりしませんでした。棄民≠ネどしなかったのです)。
 この韓国の棄民政策のため、朝鮮半島南部出身者でありながら、朝鮮総連に所属し、北朝鮮に帰国≠オた人は多かったのです。
 なにしろ、復興し始めたとはいえ、日本はやっと焼け野原から脱出したばかりの頃でした。
 庶民は貧しかったのです。
 それに対して、朝日新聞を初めとする日本のメディアは、北朝鮮は〈夢の国〉のような宣伝を行っていました。
 日本に帰属意識が薄く、出来るだけ楽をしたいコリアンにとっては、北朝鮮に帰国することはまさに願ったり叶ったりだったのです。
(ですから、テッサ・モーリス=スズキなどが言う、この帰国事業は、日本政府が主体的に在日を追い出したものだ、などという認識は間違い、妄言です)。
 文脈は違いますが、姜尚中も次のように書いています。
「産経新聞も言うように、居住地選択の自由は、世界人権宣言にも合致している基本的な権利なのです」と。
(「日朝関係の克服」集英社p74)
 大江健三郎が、「自分には帰るべき朝鮮がない」と言ったのも、この帰国事業の際です。
(コリアンの帰属意識が薄いのは、何も日本に対してだけではありません。ウリ、というのは、所詮身内だけしか含まず、まず国家のレベルまで拡大することはないからです。だからこそ、簡単に脱北しますし、韓国からも脱出してアメリカやオーストラリアなどに行く人が大勢いるのです)。
 もう毎度おなじみになってきた古田博司氏が(「韓国・北朝鮮の嘘を見破る」文藝春秋)という本で、こんなことを言っています。p21です

――そして、基本的に自分の血族以外はどうでもよかった人々に、「国民」という近代的な概念を植え付けるのに利用されたのが「反日」でした。共通の敵を作ることで、連帯を作り出したのですね。だから、80年代以降、近代化が進めば進むほど「反日」も強まっていきます。つまり、韓国にとって「反日」は近代化のための凝固剤だったのです。――

 なんだか、宇宙人が侵略してくることによって、地球人がやっと団結する、みたいな話ですね。どこの三文SFですか。(苦笑)


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