15 悪辣≠ネ日帝による収奪
「朝鮮人強制連行の記録」(未来社)は、一時の左翼にとって、バイブルのような本でした。
1965年に発行された本です。
スピノザの持っているものは、古本屋で買ったもので、1969年に刷られたものです。鉛筆で線がたくさん引いてある、ぼろぼろの代物ですが、それでも8刷です。
こんなつまらない本が、4年間で8刷ですから、いかに売れ、読まれた本かよく分かります。(未だに絶版にならずに、アマゾンで買えます。びっくりしました。今では、50刷ぐらいになったようです)。
この本の最大の特徴は、
頭が悪い
ということです。
以下、それを立証していきます。
目下の興味の対象は、もちろん「強制連行」です。それで、p10〜p42まで、延々と書かれている、自発的≠ノ日本に渡航した人々の話は本来関係ありません。
しかし、それでは朴慶植にとっては都合が悪い。
日韓併合以後、どんどん日本に渡ってきた在日一世たちは、みんな強制連行の被害者でないと困るのです。ですから、ここも対象にして、突っ込みましょう。
朴慶植は、次のように言います。p20です。長い引用になります。改行もなしで、読みにくいのですが、ごめんなさい。そのままにします。句読点が少々おかしいのも、原文ママです。
――朝鮮人が自己の故郷を追われ、全く見ず知らずの外国である日本に大ぜい住みつくようになったのは、1910年祖国が日本帝国主義によって強奪され、植民地となってからである。日本は武力をもって朝鮮を占領し軍隊・憲兵・警察によるいわゆる「武断政治」を強行した。日本の支配者は一切の権力を握り、当時朝鮮農民の生活の基盤であった祖先伝来の土地をとりあげるためにいわゆる「土地調査事業」を行った。その結果、100余万町歩の田畑や1120余万町歩の山林が日本の国有地に編入され、また日本地主の所有地となった。その結果朝鮮農民は地主対小作人の半封建的な関係にしばられると共に高率の小作料、地税などの半封建的、植民地的な二重、三重の収奪の下に呻吟するようになった。その上日本人農業移民が盛んに行われ、朝鮮人は小作農もできなくなった。そのため祖先の墳墓の地である農村での生活が破壊され、離れがたい故郷をあとにやむを得ず満州や日本に流浪し、生きるための糧を求めねばならなかった。こうしてわれわれの同胞は亡国の民の悲哀を切実に味わうようになったのである。日本の朝鮮強奪以前の貧しくともいわば「牧歌的」な朝鮮農村は日本資本主義の中に組み入れられ、農民は急速に小作農化し、さらにプロレタリアへの転落が無慈悲にも強行されていった。当時の朝鮮は自主的な資本主義的工業の発展が抑えられ、おくれた植民地農業国という条件下で朝鮮人は不本意にも国外へと追われる運命を負わされたのであった。――
ふー、疲れた。
いやはや、これで一つの段落なんですからねえ(苦笑)。書いてて疲れなかったんでしょうか。
まず、
「日本は武力をもって朝鮮を占領し軍隊・憲兵・警察によるいわゆる『武断政治』を強行した」
だから、朝鮮は併合された。
というお話し≠ナすが。
でも、思い出してください。朝鮮は順民≠セったことを。世界史的に見れば、朝鮮人は、ほとんど抵抗運動らしい抵抗運動を起こしていません。
大人しく、無抵抗で日本に併合されています。
たかが3000人ほどの「義兵の反乱」なんて、世界史的には抵抗とは言いません。
事実、朝鮮を統治していた日本の朝鮮軍は第十九師団、第二十師団の2個師団に過ぎません。
1個師団は、1万人から2万人ぐらいですから、最大でも4万人しか朝鮮半島にはいなかったことになります。
参考までに、ウィキによりますと
――韓日会談に反対する学生たちと市民のデモが64年から全国を揺るがした。これにパク・チョンヒ(朴正煕)軍事政権はその年6月4日、非常戒厳令を宣言し4個師団をソウル市内に投じてデモを鎮圧した。――( )はスピノザ。
というわけで、日韓会談の際にソウルで起こったデモを抑えるだけでも4個師団≠ェ必要だったのです。
なのに、日本が朝鮮統治に当てた軍隊は、そのわずか半分以下。
後は警察が治安の維持に当たっていたのです。
その警察も、1910年の併合時ですら、3人の、警務官という最高幹部のうち1名が朝鮮人でした。さらに、幹部である警視の14名(シェア32パーセント)、警部の101人(38パーセント)が朝鮮人でした。
要するに、上位階級の三割以上は、朝鮮人だったのです。末端の巡査補まで入れれば、警察の実に6割が朝鮮人警察官だったのです。
(中川八洋著「歴史を偽造する韓国」徳間書店p98〜99)
末端の巡査補ならともかく、警部、警視、警務官などの幹部を、現地人に任せるなど、イギリスやフランスの植民地統治では考えられません。
だって、日本人の警部が、朝鮮人の警視の命令を聞かなければならないのですから。
日系アメリカ人だけで構成された、442連隊をご存知でしょうか。
この連隊は、勇猛をもって鳴り、アメリカ陸軍史上最多の勲章と、大統領部隊感状を授与された連隊です。
しかし、士官以上の幹部は、全員白人でした。
同じアメリカ国民でも、黄色人種が部隊に命令を出すことなど、許されなかったのです。
なのに、大日本帝国では、朝鮮人が日本人の部下に命令を出すことが出来たのです。
洪思翊中将のように、後一歩で大将、という地位まで登り詰めた朝鮮人さえいます。
欧米による植民地支配との差は歴然としています。
ですから、併合に強硬に反対していたのは、なんちゃって両班ではなく、本当に読書階級であった両班ぐらいのものでした。特権がなくなりますからね。
それから、李氏朝鮮の軍人。彼らも既得権がなくなりますから。
何しろ、彼ら両班は宗主国、清に事大≠オていました。清以外の国に、事える(つかえる)ことなど、考えることもできなかったのです。
でも、賤民である奴婢や白丁を初めとする、ほとんどの庶民にとって、支配者が誰になるか、など自分とは関係のない話でした。
何しろ、国家≠ェ、ウリとなるのは、今の国粋主義の教育を受けてからです。
それ以前は、親族・身内以外は、ウリではありませんでした。
ウリではない、国家なんてものがどうなろうと、庶民にはどうでもいいことだったのです。
ただ、併合された相手が、こともあろうに日本≠セったことは、ちょっと深刻なショックを与えたようです。
事実、高麗が元に臣従していたこと、李氏朝鮮が、明と清に臣従していたことに文句を言うコリアンは、あまりいません。
何しろ、朝鮮民族は華夷秩序にどっぷりとはまっていました。
その秩序の中で、倭人というのは、白丁以下の最下位のカースト。
華夷秩序に服しない野蛮人でしたから。
「1910年祖国が日本帝国主義によって強奪され、植民地となって」
なんて言うのは、これは朴慶植の脳内妄想です。
第一、先にも書きましたが、台湾は植民地でしたが、朝鮮は併合されたのです。
日本人と朝鮮人は、共に一等国民です。