16 悪辣≠ネ収奪
しかし、まあ、この段落はまた、見事なまでに典型的な日帝強奪史観≠ナすね。韓国の教科書も、みんなこういう視点で統一されています。
「韓国の歴史 国定韓国高等学校歴史教科書」p398です。
――土地調査事業によって不法に奪い取られた土地は全国土の40%にもなった。――
また
「入門韓国の歴史 国定韓国中学校国史教科書」p327には、
――朝鮮総督府は、これらの没収した農地を、東洋拓殖株式会社などの日本人が経営する土地会社に払い下げたり、韓国に渡ってくる日本人に安価で引き渡したりした。
その結果韓国の農民たちはいっそう貧しくなり、土地を失った農民たちは深い山の中に入り火田民となったり、新しい生活の糧を求めて満州など国外に移住する人々も多くなった。――
どうです。朴慶植の主張と瓜二つでしょう。
こういう主張は、朴慶植が書いているような、
「日本の朝鮮強奪以前の貧しくともいわば『牧歌的』な朝鮮農村」 なんていう認識があるから生まれるんですね。
でも、こういう認識は間違い、誤謬です。
李氏朝鮮の貧しさは、「牧歌的」などという生易しいものではありませんでした。
次の一連の写真をご覧になれば、一目瞭然です。(写真7 7ー1は南大門。7ー2は、南大門前の大通り)
(写真7−1)
(写真7−2)
(写真7−3)
ご覧の通り、李氏朝鮮というのは、ちょうど今の北朝鮮のような破綻国家だったのです。
このことは、実は、実学者、と呼ばれる儒者たちの間では、すでに、問題になっていました。
実学者の一人、朴斉家は、その辺を自覚しています。彼は、1786年に、正祖に述べた「所懐」で、
「当今のわが国の大きな病弊は、貧困であります」
とはっきり述べています。
(「朝鮮儒教の2000年」姜在彦著・朝日新聞社。p391)
李氏朝鮮の貧困は、昨日や今日始まったものではないんですね。開国が1897年ですから、李朝末期から100年前の時点でも、庶民は貧困に喘いでいたわけです。
例えば、現代のブータンのように、経済的には貧しくとも、本当に心豊かな国はあり得ます。(でも、中共に侵略されていますね)。
しかし、李氏朝鮮は、そんなブータンのような「牧歌的」な国ではありませんでした。
李氏朝鮮は、両班(ヤンバン)を頂点とし、中人(チュンイン)、常人(サンミン)、賤民(チョンミン)=[白丁(ペクチョン)、奴婢(ノビ)など]からなる階級社会でした。本当は、もっと複雑なのですが、まあ、おおむねこんな感じです。
両班というのは、科挙でなるものじゃないのか? そう思った方は、かなり世界史通の方です。
そうです。本来は、高麗と、それに続く李氏朝鮮では、官僚は科挙で決めるはずでした。
しかし、科挙の本家本元の中国同様、役人になれる読書階級は限られています。そして、李氏朝鮮の時代が下るにつれて、中国以上に、その階級的な縛りは厳しくなりました。
そういう訳で、この階級は、かなり固定されていました。
かなり≠ノご注目下さい。
なかなかにいい加減な部分もあるのです。
実は、両班、中人、常人は、一緒くたに良民と呼ばれ、白丁などの賤民とは区別されていました。それで、家系譜である族譜を偽造したり、両班の身分を売り買いしたりして、中人と常人は次第に両班を名乗るようになります。
で、李朝末期には、なんと、国民の半数近くが搾取する側の両班で、残りが搾取される側の賤民、という笑えない事態になりました。
これでは、賤民の負担が重すぎますよね。
しかも、倭寇などに対処するために、常民どころか、賤民でさえ武功に応じて、武斑の科挙に応じることが出来るようになります。
しかも、
「慢性的な国家財政の窮迫をおぎなうための『売官売爵』が流行し、名目だけの両班が量産された」(姜在彦前掲書。p222)
というわけでして、とにかく、誰でも彼でも両班を名乗れるようになるのです。
階級的縛りがきつくなる一方、それがケンチャナヨにもなる。
実に朝鮮的な事象です。
この傾向は、今でも続いています。
韓国人に出自を聞くと、ほぼ100パーセントが両班と名乗るそうです。族譜も、当然書き換えられているわけです。
そして、李氏朝鮮の場合、税の制度が、時代によりころころ変わりました。と言うより、税は、両班が、気の赴くままに随時取り立てていたようです。
当然、租・庸・調、に当たる税の基本概念はあります。でも、そんな決まりは、ケンチャナヨ、なのですね。
朝鮮の歴史をチラ見すると、本当に両班の横暴ぶりには驚かされます。
ウィキペディア「両班」にある、マリ・ニコル・アントン・ダブリュイ(1866年、ソウルで処刑)の『朝鮮事情』より。
――「朝鮮の貴族階級は、世界でもっとも強力であり、もっとも傲慢である」
「朝鮮の両班は、いたるところで、まるで支配者か暴君のごとく振る舞っている。大両班は、金がなくなると、使者をおくって商人や農民を捕えさせる。その者が手際よく金をだせば釈放されるが、出さない場合は、両班の家に連行されて投獄され、食物もあたえられず、両班が要求する額を支払うまで鞭打たれる。両班のなかでもっとも正直な人たちも、多かれ少なかれ自発的な借用の形で自分の窃盗行為を偽装するが、それに欺かれる者は誰もいない。なぜなら、両班たちが借用したものを返済したためしが、いまだかつてないからである。彼らが農民から田畑や家を買う時は、ほとんどの場合、支払無しで済ませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止できる守令は、一人もいない」――