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1 土光さんのメザシ

 ♪ボロは着てても、心は錦。♪
 という歌がありました。
 吉田兼好法師の昔から、日本では質素倹約が美徳です。兼好法師のような、物を持たない隠遁生活に憧れる日本人は、多いと思います。

――徒然草 第十八段
 人は、己れをつゞまやかにし、奢りを退けて、財を持たず、世を貪らざらんぞ、いみじかるべき。昔より、賢き人の富めるは稀なり。(後略)――

――(現代語訳)
 人間は自分の生活を簡素にし、贅沢をしないで、財産も持たず、世俗的欲望も求めないのが最もいいと思う。昔から賢人と言われた人の富者は稀である。(後略)――
(現代語訳は、徳永圀典さんの「徒然草口語訳」を参考にさせていただきました。ありがとうございます)。

「昔より、賢き人の富めるは稀なり」
 これは、大方の日本人の賛同を得られる言葉だと思います。
 1974年(昭和49年)、第4代・経団連会長に就任した、土光敏夫氏も、その質素な生活ぶりで、国民の心を掴みました。
 穴の開いた、つぎはぎだらけの帽子を被り、床屋になんぞ一回も行ったことがない。散髪は、息子さんにやってもらう。そんな生活。
 そして。なんと言っても土光さんの名前を高からしめたのが、奥さんと二人きりの夕食でしょう。メニューはメザシに菜っ葉、みそ汁と柔らかく炊いた玄米。たったこれだけ。
 もちろん、経団連の会長ですから、多額の収入があります。その収入も、生活費以外は全て橘学苑に寄付されていました。橘学苑とは、土光氏のお母上が、戦時中に女性の教育が必要と感じ、創設なさった学校だとのことです。
 通勤には、バス、電車を利用してハイヤーなんか使わない。
 ある疑獄事件の容疑者になったとき、朝早く訪れた刑事に、奥さんが「まだ今ならバス停にいますよ」と言うので、刑事がバス停に行ってみたら、本当にそこでバスを待っていた。
 その時に、刑事は土光さんは無実だな、と確信したそうです。
 また土光氏の家が凄い。昭和十年代に建てられたごく普通の木造二階建て。土光氏に会いに行った検事たちが「これが一流会社の社長の家か」と囁きあったほどだそうです。
 こういうのが、一般的な日本人の描く、理想的な人格像です。
 実るほど、頭を垂れる稲穂かな。
 この言葉は、バブル崩壊後の日本人の心にも、脈々と生きています。
 バブル期は、まあ一時的な発狂状態でしたからね。
 でも、韓国人は違います。


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