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5 朝鮮朱子学って、なあに?

 朝鮮朱子学って、なんでしょう? 
 それは、ただの朱子学とは違うものなのでしょうか。
 もちろん、朱子学の起源は中国ですし、朱子学は日本にも入ってきて、江戸幕府公認の学問となりました。
 そういう朱子学と、朝鮮の朱子学は、趣が違うのでしょうか?
 そもそも、朱子学というのは、理屈っぽい学問です。
 と言うのも、朱子学には明確な論敵≠ェいたからです。

 それは、仏教です。

 現代の日本の仏教は、鎌倉仏教が主流です。
 鎌倉仏教の特徴の一つに、易行が挙げられます。だから、仏教が元々理屈っぽい、ということが忘れられがちです。
 本来、お釈迦様以来の仏教は、厳しい修行の末に悟りを開くことを目標としていました。(と言っても、苦行はしない建前になっています)。
 しかし、一般凡夫には、なかなか厳しい修行など積むことができません。ましてや、戦乱の世の中などにあったら、なおさらです。(もっとも、お釈迦様=ゴータマ・シッダールタの時代も、戦乱の世の中でした。事実お釈迦様の母国・釈迦国は戦乱で、大国コーサラ国に攻め滅ぼされています)。
 そういう、一般の凡夫を、救うために起こったのが、大乗仏教運動です。
 これは、すでに如来=仏になることが出来るところまで修行を積んだ菩薩が、あえて如来にならずに一般凡夫たる衆生を救ってくれる、という考え方を基本にする仏教です。
 確かに、阿弥陀如来を信仰する浄土系の仏教や、大日如来などを信仰する密教の一派もあります。
 ですが、基本形は弥勒や地蔵、観音などといった菩薩を信仰するものなのです。
 その基本形である菩薩信仰から進化して、阿弥陀仏信仰や毘盧遮那仏信仰、薬師如来信仰や大日如来信仰が生まれてきたのです。
 釈迦牟尼仏=ゴータマ・シッダールタ自身は、平易な言葉でその教えを説かれました。
 しかし、インド人は論争好きです。
 後のヒンドゥー教の原型となる、バラモン教の後期には、六派哲学と呼ばれる哲学体系が整備されました。この六つの学派は、それぞれ論争を通じて、非常に精緻な哲学体系を練り上げます。
 仏教も、この六派哲学、中でも最も正統とされるヴェーダーンタ哲学と、果てしのない論争を繰り広げなければなりませんでした。
 こうして、仏教にも精緻な仏教哲学が成立していきます。阿毘達磨(アビダルマ)と呼ばれる教典群を始めとする、様々な哲学的な思索が営まれていきます。
 でも、鎌倉仏教は、こうした哲学体系などをすっ飛ばして、南無阿弥陀仏、と唱えたり、南無妙法蓮華経と唱えたり、只管打坐したりすれば、仏の力で救われると説くのですね。
 易しい修行、易行による救いを説くわけです。
 とにかく、大乗仏教では、誰でも仏の御力で救われるんですね。
 ええと、この辺は、書き出すときりがありませんから、すぐに中国儒教の話に移ります。


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