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7 キムチ風味のアンガージュマン

 さて、この朱子学は、13世紀、高麗の時代には、元(モンゴル)から朝鮮半島に渡っています。(もっとも、それ以前に民間では伝わっていたものと思われます)。
 それを招来した安晦軒(アン・ヒャン)なる人物が、朱子学による思想革新を唱え、一応高麗でも官学にはなります。
 しかし、高麗時代は、仏教に押されて、あまり発展しませんでした。なにしろ、仏教は高麗の立国理念ですからね。(もっとも、元の科挙に応じるために、そこそこ勉強はされたようです)。
 朝鮮で朱子学が発展するのは、なんと言っても李氏朝鮮になってからです。
 鄭道伝なる人物がいます。朱子学の仏教に対する優位性を説き、李成桂による、高麗から李朝への易姓革命を支えた人です。
 易姓革命がかなった後、李成桂は、明に事大し、国号まで選んでもらいます。
 それで李氏は、古来からの由緒正しい「朝鮮」を名乗ることになるのです。
 李成桂その人は、仏教の篤い信者だったのですが、易姓革命に功のあった鄭道伝の助言に従い、朱子学を官学とします。
 鄭道伝によって、李朝の崇儒排仏路線が定まったのです。
(姜在彦著「朝鮮儒教の二千年」朝日新聞社。p176〜193)
 この鄭道伝と、その流れをくむ儒者たちを、勲旧派と言います。彼らは、建国に殊勲のあった功臣として、絶大な勢力を誇り、初期の李朝社会に君臨します。
 李氏朝鮮では、明に馬鹿にされまいと、国民一人一人にまで、〈孝〉を中心とする朱子学的な「修身」を徹底させようとします。
 でも、仏教と土着的なシャーマニズムが染み込んでいる国民は、容易なことでは信仰を変えません。
 それで、ずいぶんと暴力的なことまでして、儒教を徹底させます。
 こうして、「大義名分」による、君臣の秩序、長幼の秩序などで、がんじがらめの社会構造が生まれます。もう、宇宙論的な〈理〉だの〈気〉だのは、そういう身分秩序を補強するための道具となり下がります。
 そして、仏教を弾圧し、ソウルなどの市街地にあった寺院は焼いてしまいます。
 今の韓国では、これらの寺院は、〈あの悪辣な秀吉〉が焼いたことになっています。
 僧侶は、奴婢や白丁と同じ賤民階級にまで身分を落とされ、山寺に追放されます。
 それでも、姜在彦氏によれば、鄭道伝たちは実学を重んじたと言うんですね。1429年に水車の報告があってから、結局水車一つ満足に作れていないというのに。何とも不思議な話です。本当に、実学が重んじられたのでしょうか? 疑問です。


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