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10 プライド? 誇り? メンツ、メンツ、メンツ

 だから、こういう儒者たちは、何よりも体面、面子を重んじます。
 また、自分は「大義名分」に則った正義だ、と思うから妥協という言葉を知らない。
 本当の儒者なら、内面の徳の高さを競うところでしょうが、朝鮮ではそうはならない。
 言論の正しさを競うところでしょうが、そうもならない。
 まして、格下のものに、言論で負けるなんてわけにはいかない。
 それは、以下のような精神とは、全く相容れない精神です。

「徒然草」 第109段
――高名の木登りといひし男、(中略)
 あやしき下臈なれども、聖人の戒めにかなへり。鞠も、難き所を蹴出して後、安く思へば必ず落つと侍るやらん。――
(現代語訳)
――木登りで有名な男が、(中略)
 身分の卑しい者だが、その言葉は聖人の戒めと同様である。蹴鞠も、難しい場所から巧く蹴りだしてから、安心すると失敗して鞠が地面に落ちるものだと、言い伝えにあっように思う。――
(現代語訳は、徳永圀典さんの「徒然草口語訳」を参考にさせていただきました。ありがとうございます)。

「あやしき下臈なれども、聖人の戒めにかなへり」
 これです。
 この精神です。
 幼稚園児だろうが、大学の教授だろうが、はたまたホームレスだろうが、ノーベル文学賞受賞者だろうが、身分・肩書きの別などどうでも良いのです。
「あやしき下臈」でも「聖人」の「戒めにかなった」ことを言えるのです。
 そういう風に思うのは、何も日本人だけではないと思います。
 例え、格下の相手でも、正しいことを言っていたら、それは正しいのです。
 これは、人類普遍の道徳律です。
 大学教授が言ったから正しいんじゃない。
 ましてや、高校教師が言うんだから正しい、なんてことはない。
 その辺が、コリアンには分からないんでしょうね。

 こら、聞いてるか。金両基。(笑)


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