13 どうして拘る、つつきの順位
さて、朝鮮儒教は、「大義名分」に拘りますから、国内の身分秩序だけではなく、国外での華夷の序列にも拘ります。
で、こんな風に悲憤慷慨する羽目になる。
(古田博司著「朝鮮民族を読み解く」筑摩書房。p183)。
「渓陰漫筆」より。
――中国の王朝の朝賀の席では、千官が朝服(朝賀の礼服、紅の衣に金冠を頂く)を着る。独り我が国の使臣だけが黒団領(黒の丸首の衣)で朝賀の列に従う。(中略)王城にはいるときも、また(朝鮮人が)かごに乗ることを許さない。琉球(現、沖縄)の使臣は、皆かごに乗っている。――
という風に、どうやら朝鮮は華夷秩序において、琉球より下、恐らく最下位として扱われます。
これは、彼らのプライドを、いたく傷つけます。
でも、どうしてこんなことで傷つくんでしょう?
鶏じゃああるまいし、そんなにつつきの順位に拘らなくても良さそうなものですが。
こういう傷つけられたプライドが、ねじ曲がって極端な事大主義を生み出します。〈事〉は、仕えること、〈大〉は大国です。
大国に仕えることによって、安全が保たれる。そして陰では、小中華としてのプライドを保全しておく。
こうやって、国を指導すべき両班たる官僚たちが、喪に何年&桙キるのが〈孝〉か、などというくだらない観念遊戯に耽り、国内外のつつきの順位で相争っているのですから、国がうまく運営できるわけがありません。
で、こういう観念遊戯から、労働を卑しめる独特の価値観が生まれてきます。
しかも、朝鮮は狭いですから、こういう価値観を隅々まで浸透させることができた。
これでは、農業も、技術も、商業も発展のしようがない。
こんなことがありました。朝鮮が、日本によって開国させられ、西欧人もやってくるようになった頃の話です。
イギリス人たちが、両班たちの前でテニスをして見せたのですね。
試合が終わって、汗を拭いていると、ある両班が言ったのだそうです。
「見ていては、なかなか面白いが、そんな汗をかくような下賤なことは、なぜ下人にさせないのか」と。
ううむ、汗をかくようなことは、労働だろうがスポーツだろうが、下賤なんですね。
さらに、また一人の西欧人が、蓄音機で両班たちを驚かそうとしたんですね。
ちょっとした茶目っ気です。
で、レコードを蓄音機で聴いた両班たちは、驚いたわけです。
内心は。
ただの箱から、音が出ると。
でもね、誰一人顔色一つ変えず、驚かないふりをしたんです。
それには、西欧人の方がびっくりした。
驚いて感情が動き、〈気〉が強くなると、「性即理」の境地から離れてしまう。だから驚いてはいけないのだそうです。(逆に、葬式なんかは〈気〉を存分に発揮すべき空間ですから、盛大に泣き喚くことになります)。
なんだか、心頭滅却すれば火もまた涼し、みたいな話ですが。
快川和尚の方は、本当に命がけの悟りの境地なのに対し、両班の方は、ただの見栄っ張りの意地っ張りにしか見えません。
悟りの境地にいて、死に臨んで泰然自若としていたなら分かりますが、ただ単に動揺を外に出さなかっただけでは、あんまり誉められたものではありません。
武士は食わねど高楊枝、にも似ているように見えますが、やはりこれは別ものでしょう。
本当の誇り、プライドと、見せかけのメンツは、違います。