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14 好奇心だらけの江戸庶民

 で、この驚かないふりの両班と対照的なのが、黒船が来航したときの江戸の庶民たちです。
 黒船は、日本に着く前に、東南アジアのそちこちに立ち寄ってきています。
 ちなみに、よく誤解されますが、ペリーは、太平洋を真っ直ぐに突っ切って来たわけではありませんよ。念のため。(地図1)参照。

(地図1)

 それらの立ち寄った場所の全てで、黒船は恐れられました。近寄ってくる原住民など、誰もいなかったのです。
 ところが、江戸の庶民は違いました。
 それこそ、好奇心丸出しで、勝手に小舟を出して、黒船に群がってきたのです。砲撃をしても、空砲だと分かると、花火感覚で楽しむという有様です。
 そして、あろうことか黒船に縄ばしごを伝って乗りこんでしまいます。
 アメリカの水兵たちも、面白がって色んなものを見物させてくれます。蒸気機関車の模型までありました。
 その模型を、二度目の来航の時に、ペリーは幕府に献上しています。
 もちろん、ペリーには、先進文明を見せつけて、日本人を萎縮させようという意図があったものと思われます。ペリーの二度目の来航が1854年です。
 ところが、からくり儀右衛門、こと田中久重が1852年に、日本初の蒸気機関車の模型を作成しているんです。ロシア船からもらった模型を元にしたそうです。
 さらに、ペリー来航前から蒸気船を研究していた薩摩藩は、来航の3年後に、それに次いで、宇和島、佐賀の3藩が、それぞれ蒸気船の完成に成功し、ペリー来航の6年後には、海上で走行させてしまいます。
 西洋人の手助けなしで、蘭学で入ってきた知識を元に試行錯誤を繰り返しての快挙です。
 水車を、何百年経っても自分たちで造れなかった李氏朝鮮との、何という違いでしょう。
 この好奇心の多寡が、民族の運命を分けたと言えるでしょう。

 黒船が来航したおかげで、日本の方が開国が早かったことが、民族の運命を分けた、なんていう梶村秀樹やコリアンの説なんかは、ただの妄言だったということになります。

 こういう現実を見ないために、コリアンは〈妄想〉します。
 華麗で荘厳なる、栄光の歴史を。

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