6 ウリナラマンセーと恥辱碑
――六年生になったトンウクが浮き浮きしていることの一つは、わが国の歴史を勉強するようになったことである。――
これは、「国定韓国小学校社会科教科書」の冒頭、一行目です。
「社会科教科書」とありますが、中身は事実上歴史の教科書です。
小学校という言い方は正確ではなくて、前にも書きましたが、本当は初等学校、と言うはずです。
さて、トンウク君は、物知りのおじいさんと会話をしながら、韓国の歴史について学んでいきます。
おじいさんは言います。p6です。
――うん、わしは、わが民族は偉大な民族だと思っている。――
おっといきなり出ましたね。
ウリナラマンセー。「わが国万歳」
ウリナラチェゴ。「我が国最高」
ウリ、と言うのは、第一章で説明しました。我々、私の、という意味です。
ナラは、国。(時折、だから奈良は、韓国語だ、なんてとんでも説が出たりします。もちろん、これは言語学的に完全に否定されています)。
マンセーは、万歳。
チェゴが最高、という意味です。
韓国の新聞では、一日に最低一回は、このウリナラマンセー、ウリナラチェゴの記事を載せ、それを読んで韓国国民がホルホルする(得意げになる)ということが掟≠ニなっています。
それにしても、教科書の本文一ページ目からウリナラマンセーとは。
先が思いやられます。
こういうウリナラマンセーみたいな態度をエスノセントリズム(自民族中心主義)と言います。
日本の「現代社会」や「倫理」の教科書では、こういうエスノセントリズムに陥っちゃ駄目だよ、と教えるのですが、韓国は、むしろそれを奨励しているように見えます。
この、エスノセントリズムはどこの国や民族でも、ある程度は持っているものですが、朝鮮のそれは、ちょっと度が過ぎます。
まあ、昔から夜郎自大な国ですから、伝統なのかも知れません。
――おじいさん、他の国から侵略されたときにそれらを退けて力強く国を守ったことも誇らしいですね。――p6
おおっと、小学生が初めて習う歴史で、いきなりの嘘・捏造は良くないと思うぞ。
三田渡碑(さんでんとひ・サムジョンドビ)、なんてどう説明するつもりなんだろう。
三田渡碑というのは、別名大清皇帝功徳碑、とも呼ばれます。前にも写真付きで出ています。(写真5)
(写真5)
さらに別名、恥辱碑とも言います。
う、この名前、なんだか不吉な予感がしますね。
李氏朝鮮は、1392年の建国以来、明に朝貢してきました。
そもそも、朝鮮という国号さえ、前述のように、明の皇帝・洪武帝に、「朝鮮」「和寧」の二つのうちから一つを選んでもらうという形で、決まりました。
完全な属国だったのですね。
ところが、その肝心の宗主国様である明が、オランケ(北狄・蛮族)である、女真族の金に敗れるという一大事件が起こります。
その余勢を駆って、金の第二代ハンであったホンタイジは、1636年国号を清と改め、正式な中国の皇帝を名乗ります。
で、そのオランケ・清が朝鮮に朝貢と、明への派兵を要求してきたのです。
で、相も変わらず空気が読めない朝鮮は、これを断ります。
誇り高き小中華、朝鮮が、オランケごときに朝貢できるか、というわけです。
怒ったホンタイジが、朝鮮に攻め込む。
口ばっかり達者だけど、実戦にはいつも弱い朝鮮軍は、連戦連敗。わずか40日で降伏してしまいます。1636年12月〜1637年1月のことです。
丙子胡乱といいます。
胡乱というのは、野蛮人の反乱という意味で、どこまでも負け惜しみだけは強いのです。
で、国王仁祖が、三田渡の地で、ホンタイジに三跪九叩頭の礼(三度跪き、九度頭を地にこすりつける)を行って、屈服します。
で、この仁祖が、ホンタイジに対して跪いている有様を、レリーフと、さらに碑文にして彫り込んだのが、三田渡碑なのです。
かなり屈辱的な碑ですね。