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11 官撰の「三国史記」の神話

 一応、朝鮮には、官撰の「三国史記」という歴史書があります。
 これは。1143年に執筆が開始され、1145年に完成されています。三国遺事に先立つこと、約80年ほどでしょうか。
 この「三国史記」には、壇君なんて出てきません。第一「三国史記」は、いきなり「新羅本紀」から始まっています。
 でもね、何よりも自尊心を、と言うより、
「見栄」
 を大切にするコリアンには、この「三国史記」は多分許せない部分があるんだろうと思うんです。
 それは、「三国史記」に出てくる創世神話が、卵生神話≠はじめとして、全体的にどうもしょぼいということです。
 ここの三国というのは、高句麗、百済、新羅のことです。
 ウィキペディアを参考に、この三国の創世神話を見てみましょう。
 まずは日本と関係の深い百済から。
「三国史記」によりますと、百済は、高句麗の始祖である朱蒙の第三子、温祚(オンソ? オンジュ?)によって建国されたことになっています。
 おっと、創世も何も、始祖がすでに高句麗の始祖の息子なんですね。
 百姓が、その下に帰化したので、百済と号したということです。
 うむ、創世神話としては、いまいち迫力に欠けますね。と言うか、神話でさえないかな?
 インド神話ほど壮大でなくても、少なくとも北欧神話程度のスケールは欲しいところです。
 次は高句麗。
「三国史記」によれば、高句麗は紀元前37年に朱蒙(チュモン)により建てられました。
 朱蒙の母は河の神の娘で天帝の子と出会って結ばれますが、父の怒りを買って東扶余王の金蛙の所へ送られます。
 やがて娘は太陽の光を浴びて身篭り、卵を産みました。
 おっと、出ましたね。卵生神話です。
 この卵から生まれたのが、始祖、朱蒙というわけです。
 好太王碑文にもほぼ同じ内容が書かれているそうです。
 で、新羅。
 新羅の始祖は、朴赫居世(パク ヒョッコセ)といいます。
 辰韓の長の一人が、蘿井(慶州市塔里面に比定される)の林で馬のいななくのが聞こえたので近寄ったところ、大きな卵があった。
 卵を割ると中から幼児が出てきます。10歳を越える頃には人となりが優れていたことから、彼を王位につけます。卵が瓠(ひさご)ほどの大きさであったため、辰韓の語で瓠を表す「パク(=朴)」を姓として名乗った、ということになります。
 という次第で。完全な卵生神話です。おまけに、新羅には建国時に渡来してきた倭人(瓠公)が重臣となったという話まであります。
 まあ、創世神話が卵生神話でも構わないとスピノザは思うのですが、そこはやはり面子というものがあります。
 日本の天孫降臨と比べると、やはりしょぼいと思ったのでしょう。
 で、壇君神話を捏造しちゃった。(と言っても、民間の説話ぐらいはあったのではないか、という説もあるようです。でも、金達寿なんかは、その「朝鮮」岩波書店p75で、「壇君神話」は、元の支配下100年に生まれた説話だと断言しちゃってますが)。
 今の韓国人は、それを完全に信じ切っちゃっているんですね。それどころか、1500年前後の儒者辺りから、もう壇君は史実化している模様です。
 何せ、日帝呪いの杭、を信じてるんですから、壇君神話なんて余裕でしょう。
 で、ここで、やめられない止まらない、農心のセウカン、というのが朝鮮民族です。
 農心のセウカンって何だ? と思われた方は、どうぞ検索を。面白いですよ。
 で、止まらないのはなにかは、次の節で。


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