17 日帝の負の遺産?
韓国人、と言うよりコリアンは、日帝の負の遺産、という言葉が大好きです。偏愛していると言ってもいいくらいです。
前に挙げた、従軍慰安婦だの、朝鮮人の強制連行だのは、韓国人にとっては、未だに清算されていない日帝の負の遺産≠ノ他なりません。
もちろん、日帝呪いの杭なんかは、その代表格です。
その割には、呪いの杭、みたいなとんでもを除くと、案外日帝がやったことを知りません。
金両基は言います。「海峡は越えられるか」p221です。
――この三・一事件をきっかけに、武力統治は無理だということから、斎藤実総督の文治政策が始まります。『朝鮮日報』や『東亜日報』などの新聞を作り、1923年5月に京城帝国大学令を発布して、韓国で初めての総合大学をつくります。総合大学といっても法文学部と医学部の二学部しかありませんでした。――
ええと、なんか恨みがましく言っていますが。
1923年といえば、台北帝国大学、大阪帝国大学、名古屋帝国大学は、まだ設立されていませんでした。
つまり、日本内地の二帝国大学より先に京城帝国大学は設立されています。
しかも、朝鮮よりずっと前に、本物の植民地になっていた台湾より先に設立されているのです。
何が不満なんでしょう?
「法文学部と、医学部の二学部しかありませんでした」
と言いますけど、文班を重んじた両班の伝統からすれば、
法文学部があれば十分
でしょうに。(笑)
医学部はねえ……。
医者といえば、今の日本では人気職業です。収入も、社会的地位も高い。
でも、李氏朝鮮時代には、医者の地位はそれは酷いものでした。
男の医師は、一応中人から科挙で選ばれる下級官僚でした。しかし、医師を選ぶ科挙は、両班を選ぶ科挙より、一段も二段も低く見られていました。
おまけに、宮廷内の女性に触ることのできる医女は、官婢、つまり私婢ではない公の婢(女の奴隷)から選抜されていました。
チャングムなんかが、この医女ですね。
要するに、医者は、男も女も、身分はとても低かったんです。
あ!
だから、金両基は怒っているのかな? 医学部なんて、しょうもないもの作りやがって! っていうことですかね?
でも、今の韓国では、日本同様、理科系はみんな医者になってしまうので、基礎科学が進展しないって問題になっているはずなんですけどねえ。
金両基の頭の中では、今も医者は賤業なのかな?