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20 大韓帝国の台所事情

 投資と言えば、併合時前後の李氏朝鮮・大韓帝国の財政事情についても、触れておかなければいけません。
 末期の李氏朝鮮・大韓帝国は、王室の家計と、国家の財政の区分がなされていませんでした。
 ですから、閔妃は、虚弱児の息子のための祈祷に、国庫から無際限の支出をして国家を傾けたのです。
 そのため、李氏朝鮮、さらには大韓帝国は、近代的な国家予算を組むことが出来ませんでした。
 日本が保護国化して、初めて王室の家計と国家財政が分離され、朝鮮の近代的な予算が組まれることになります。
 当時の朝鮮の国家予算に必要な額を、中川八洋先生に倣って、まあざっぱに計算して3000万円としましょう。当時の1円が、これもやはり中川八洋先生に倣って、今(2011年)の3万円の貨幣価値があったとして計算します。
 朝鮮の国家予算は、現在なら、約9000億円ということになります。
 大正元年(1912年)の日本の国家予算が、約6億円だそうです。今の貨幣価値に直すと、18兆円でしょうか。
 国家としての規模、経済の発展段階などを勘案すると、まあ妥当な線だと思います。
 この3000万円の国家予算を組む能力が、李氏朝鮮・大韓帝国にはありませんでした。
 何しろ、保護国化された1905年時点における大韓帝国で、最初に近代的な国家予算を組んでみたとき、大韓帝国の歳入は748万円しかありませんでした。
 たった748万円ですよ!
 必要な金額、3000万円≠ノはとてもとても足りません。
 では、どうやって財政を運営したのでしょう。
 簡単です。
 日本政府からの、直接の支出による補填です。
 つまり、内地の日本国民から徴収した税金を、何の見返りもないままに、朝鮮に出資したのです。
 毎年、2000万円以上の差額をですよ!
 今の貨幣価値に換算したら、6000億円以上を、毎年無利子で朝鮮に借款していたのです。
 しかも、その5年後、1910年に日韓が併合されたとき、日本は、こうして無利子・無期限で貸していた、数千万円以上、多分1億近い金額になる韓国の借金を全額棒引き≠ノしてしまいます。
 つまり、朝鮮の借金は、チャラ、なかったことになってしまったんですね。
 これは、朝鮮のために、むしろ内地の日本国民の方が″取されていたことになります。
 こうした状況は、韓国が日本に併合されていた間、ずっと続きました。
 しかも、併合時には、明治天皇から恩賜金として3000万円が与えられています。
 植民地台湾は、最終的に黒字になったそうですが、朝鮮の方は、こうして一方的に日本の赤字≠フままでした。
 毎年毎年、日本国民は、朝鮮を近代化するために、2000万円前後の支出を迫られていたんですね。
 凄い植民地支配もあったもんです。
 こうして、1944年までには、累計、最低でも約21億円もの投資を朝鮮にしています。
 しかも、その投資は何の見返りもないままに、日本の敗戦でなかったことにされました。
 中川八洋先生の計算によると、現在の貨幣価値に直して、最低でも63兆円の投資が、無に帰したわけです。国家予算規模ですね。
 一方、インドでは、前にも書きましたが、イギリスは本国費としてインドから搾取するだけで、財政支出は一切しませんでした。
 在インド・イギリス人の給与、駐インド英国軍の経費など、一切の費用は、インドからの租税でまかないました。
 イギリスは、1ポンドもインドに出していません。
 こんな状態なのに、朝鮮の金持ちは凄かったんです。
 1934年の統計によりますと、地税100円以上の納税者は、朝鮮人が10393名いたのに対し、日本人はわずかに3868名しかいませんでした。
 当時、朝鮮にいた日本人の全人口は、約60万人ですから、ほとんどの日本人は、金持ちの朝鮮人よりずっと貧乏で、裕福な朝鮮人に見下されていたんですね。
(以上。中川八洋・前掲書p13〜48)
 貧乏人は、極端な貧乏に苦しんでいるのに、上流階級は凄い金持ちって、あれ、今もどっかにそんな国がありますね。
 そうです。
 北朝鮮です。
 李氏朝鮮は、勉強すればするほど、今の北朝鮮そっくりの国です。
 やはり、李朝の正当な後継者は、北朝鮮なのでしょう。
 総督府が行政を行うようになっても、そういう社会構造は、容易には変えられなかったということでしょうねえ。


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