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21 線路は続くよどこまでも?

 さて、植民地支配と投資と言えば、真っ先に脳裏に浮かんでくるのが鉄道でしょう。
 この関係は、大昔に東大の入試問題になったことで、世界史の教育界隈では有名になったことがあります。

――第三に、鉄道の計画や建設、経営にかんして、インドおよびインド民衆の経済的、政治的発展は無視されていたこと、それどころかまず第一に考慮されたのは、インドにおけるイギリス帝国主義の経済、政治、軍事的な利害に奉仕するかどうかであったのである。鉄道線路の配置は、インド内陸部の原料生産地を輸出港と結びつける関心から決定された。(中略)国内の物質移動にたいしては差別的だった(後略)――
(「ビパン・チャンドラ・前掲書。p99)

 ということですね。
 つまり、植民地・インドの鉄道は、内陸の原料生産地と、輸出港を結ぶために作られたんですね。
 内陸の拠点同士を結ぶ鉄道は、基本的にありませんでした。
「国内の物質移動にたいしては差別的だった」
 ということです。インドは、そのため独立後、非常に苦労しています。線路の規格(ケージ)でさえ違いますからね。
 インドの鉄道は、ムンバイ、コルカタなどの港湾都市と、内陸の原料生産拠点を結ぶ線路が、1.676メートルの広軌です。そこから、1メートルの標準軌の線路、さらに0.762メートルの狭軌の線路となって、内陸部に入り込みます。
 全て、一次産業の生産品を、どうやって効率よくイギリスに運ぶか、を計算して作られているのです。
 そこに、インドを発展させよう、という視点はありません。
(「インドとイギリス」吉岡昭彦著。岩波書店。p124〜127)
 これを、東大は、インドの鉄道地図を使って入試問題にしたんですね。
 では、併合地朝鮮の鉄道はどうだったか?
 地図(4)をご覧ください。

(地図4)

(「日本鉄道旅行地図帳・歴史編成・朝鮮 台湾」新潮社p4)
 一目瞭然ですね。
 内陸の拠点同士(例えば京城・開城間)をつないでいて、輸出港とは関係ない路線がいっぱいあります。そのため、鉄道線路は、網の目状になっています。
 要するに、日本は朝鮮で植民地経営をする気はなかったのです。
 こうした鉄道や、北朝鮮に造ったダムなどに投資された資金も、全然黒字は生み出しませんでした。
 こういった次第で、日本は莫大な金額を朝鮮に投資したわけです。
 その結果、朝鮮は写真(10)のように近代化を成し遂げます。

(写真10−1) (写真10−2)

 いや、日本にお金が余っていたんなら、それでもいいんですよ。当時朝鮮は、日本の一部でしたから。
 でもね、朝鮮にお金を回した分、お金が回ってこなかった地方があります。
 日本内地でですよ。
 どこでしょう?
 今も、日本国内で、比較的所得水準が低い地方がありますね。
 そうです。
 東北地方です。
 後、多分北海道、沖縄も。
 前にも書きましたが、おしんの故郷、東北は、朝鮮の発展の陰で取り残され、近代化は遅れました。
 それが、前にも書いたように、5・15事件、2・26事件の背景となるわけです。
 朝鮮に投資した資本と同額を、もし東北に投資していたなら、東北は今よりずっと豊かになっていたはずです。
 もしかすると、「おしん」というドラマは生まれていなかったかも知れません。
 そう思うと、無念でなりません。
 まさに、東北地方、北海道、沖縄こそ、日帝の負の遺産≠ネのではないでしょうか。


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