22 100メートル10秒の壁
度々出てくる、東京経済大学教授の徐京植が、「秤にかけてはならない」影書房、p35で次のように言います。
――つまり、その当時植民地支配は先進国の追求すべき価値として認められていた時代だったといいますが、それは誰が認めていたのか? そして、戦後それが変わった、なぜか?――
「それは誰が認めていたのか?」
これは、とんでもない愚問です。
植民地を支配していた強国に決まっている。
じゃありませんか。
人間というものは、実際にはそんなに期待するほどオリジナリティを発揮できるものではありません。基本的には、モデルを見て、その模倣をすることが人生の大部分なのです。
例えば、スピノザが子供の頃は100メートル10秒の壁、という話が信じられていました。人類には、100メートル10秒を切ることは、生理学的に不可能なのだという説です。
事実、その頃10秒の壁を破ったアスリートは一人もいませんでした。
ところが、カール・ルイスによって一度その壁が破られてしまうと、堰を切ったように記録はどんどん伸びていきました。
こういう風に、一つの壁を突破して、前例のない新しいモデルを作る、ということには途轍もないエネルギーがいるのです。
国の経営も、基本的に同じだと思うのです。
国家モデルというものは、そうそう独創的なものは生まれてきません。
何千年もの間、大規模な領域国家は王政国家だけでした。民主主義的な共和制をとれたのは、都市国家だけだったのです。
大規模な領域国家で王政を打ち破ったのは、アメリカの民主主義に鼓舞されたフランス革命をもって嚆矢とします。
明治維新という難産を終え、ようやく産声を上げたばかりの日本という国家が、すぐに国家経営のモデルを探したのは、当然と言えます。
モデルが、植民地を持つ帝国主義国家と、植民地に転落した国家しかなかったら、為政者がとるべき選択はただ一つでしょう。
逆に、モデルもないのに、よく当時の日本は台湾、朝鮮に帝国大学まで作り、かけ声だけでも植民地搾取ではない、八紘一宇、五族協和の理念を唱えることができたものだと、先人たちの聡明さに頭が下がります。
当時の日本のような切羽詰った状況下で、モデルのない、空想的(妄想的?)な善政≠要求されても、それは魚に鷹よりも高い空を飛べといっているのと同じでしょう。
朝鮮民族も、一度でも何のモデルもない場所に立って、産みの苦しみを味わって見ると、その精神性も変わるのでしょうか?