24 そして、ケマル・パシャ
ケマル・パシャは、トルコ独立の父です。ケマル・アタチュルク(トルコの父ケマル)という尊号を送られたほどの人物です。
彼の政治も、日本の明治維新を参考にしていると言われています。
――アタチュルクは大いなる親日家だった。(中略)アタチュルクは武富大使に、「私は日本から多くのことを学びました。日本はトルコ共和国の先生です」と語ったという。(中略)
武富大使の前任者だった吉田大使はアンカラで病死されたのだが、危篤の知らせにアタチュルクは病院へ駆けつけ、その額に心からなる別れの口づけをしたという。他国の大使、公使でアンカラで客死した例は、他にもいくつかあるが、その最期にアタチュルクが駆けつけたのは、吉田大使の場合だけだったそうである。――
(大島直正著「ケマル・パシャ伝」新潮社。p196〜197)
「アジアの一国である日本の勝利は、アジアの全ての国ぐにに大きな影響を与えた。
わたしは少年時代、どんなにそれに感激したかを、お前によく話したことがあったものだ。たくさんのアジアの少年、少女、そしておとなたちが、同じ感激を経験した。ヨーロッパの一大強国は敗れた。
だとすればアジアは、そのむかししばしばそういうことがあったように、いまでもヨーロッパを打ち破ることもできるはずだ」
このネルーと同じ感激を、日本軍が白人たちをけちらす様を見た東南アジアの人々も同じように感じていたはずです。
こんなことも分からない人たちと、どうやって歴史を共有していけるでしょう。
産経の、黒田勝弘記者が、よくこう言います。
「韓国も、堂々たる経済大国になったんだから、いつまでも昔のことを言うのはよした方がいい。日本も遠慮する必要はない」と。
でも、スピノザには、そういう風には思えません。
経済力だけを問題にするのだったら、我々はブータンを軽蔑していなきゃぁならない。
でも、スピノザは、ブータンという国と、そこに住む人々を心から尊敬しています。尊敬しているからこそ、そのブータンを侵略している中共が許せない。
そして、はっきり言って、李氏朝鮮は、ブータン的な意味で尊敬できる国ではなかった。それは、断言できます。
黒田さんは、今の韓国は経済的に発展してきたから、もう遠慮する必要のない国だ、という言い方をする。
そして対等に付き合っていこう、ということだと思います。
でも、これもそうは思いません。スピノザは、日本がこれ以上韓国と付き合う必要性を認めません。
スピノザは、今、現在の韓国を軽蔑していますし、嫌いです。
韓国人自身が、西欧的近代に立ち向かって、個人としても、国家としても自分≠ニいうものを確立しない限り、日本人に広まりつつある韓国嫌いはなくならないと思います。
韓国人は、歴史立て直し=Aなどというまやかしではなく、本気で自らの自由≠フために戦う必要があります。
七百億ドルの通貨スワップを、当たり前のような顔で日本に要求している時点で、もう韓国は尊敬される国家失格です。(結局、スワップは行われましたね)。
ハングル板では、かつてこう言われていました。
「日本中が嫌韓になったとき、最後まで韓国、北朝鮮を擁護するのは、ハングル板住民だ」と。
かつてのハングル板住民は、嫌韓ではなく知韓≠ナした。
ですから、自然とこういう言葉も出てくるんですね。
そういう意味では、スピノザは、
ハングル板住民失格、
かも知れません。
しかし、スピノザはどうしてもコリアンの価値観が許せないのです。
やはり、生きる美学が違うとしか言いようがありません。
これが、コリアンが異星人だったら、まだ許せると思うんですね。
ところが、相手は人間そっくりの外見をしています。
昔、手塚治虫の漫画にありました。
「マグマ大使」に出てきた、人間モドキというやつです。
この似ているが故の違和感は、生理的なものなので、どうしようもないでしょう。
スピノザは、日本に残る最後の嫌韓でいる覚悟があります。