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いささか長い後書き


 またしても引用ですが、次の記事を読んでください。

――韓国、昨年SCMで米国に「日本を仮想敵国に」要請
 2006年10月18日[中央日報/中央日報日本語版]
「昨年10月に開かれた韓米定例安保協議会(SCM)で、韓国政府が米国政府の『核の傘』提供の削除を求めると共に、日本を『仮想敵国』と表現することを求めていた」との主張が出ている。
17日に行なわれた駐米大使館に対する国政監査で、無所属の鄭夢準議員が指摘したもの。(後略)
http://japanese.joins.com/article/903/80903.html――

 一部の日本人の、「韓流」に対する片思いにも関わらず、国際政治は冷徹に、非情に動いています。
 韓国は、日本を「仮想敵国」として、海軍力の充実に努め、空軍力もまた整備しています。対北朝鮮のためには過剰な装備です。

 目指す敵は日本なのです。

 たった今(2011年12月18日)入ってきたニュースでも、李明博大統領は、いわゆる従軍慰安婦事件の解決を野田首相に求め、解決できなければ、第二、第三の慰安婦像が造られることになる、と脅しました。
 この期におよんで、まだ慰安婦問題でたかる気なのです。もう、うんざりです。
 スピノザが、2ちゃんねるのハングル板に出入りし始めた頃、つまり2002ワールドカップの頃のことです。多分、2000年当たりの書き込みに、こういう予言があって、よくコピペされていました。

――2002ワールドカップを見て、そのあまりの惨状に、2ちゃんねる全体がハングル板化するだろう。――

 という内容の予言でした。(文言は、正確ではありませんが、大意はこんなものです)。
 その頃は、まだまだハングル板以外の板のスレッドで、コリアンを批判すると、
「差別主義者はハングル板に帰れ!」
 というレスが、山のようについたものでした。
 しかし、現実は、この予言通りになりました。
 サッカーで、サッカーファンを敵に回し、拉致確定で、日本「国民」を敵に回し、キム・ヨナの銀河点で、フィギュア・ファンを敵に回し、押しつけがましい「韓流」のごり押しで、既婚女性を敵に回し。
 いやはや、どれだけ敵を作れば気がすむのでしょう。
 今では、ハングル板も寂しくなりました。毎日、閑古鳥が鳴いています。ホロン部とのせめぎ合いも、華々しいものではなくなりました。
 往時の盛況ぶりは、見る影もありません。
 なぜなら、それぞれの論客が、自分が本当に好きな、固有の趣味の板で、存分にコリアンを批判しながら、思い切り会話を楽しめるようになったからです。
 有名論客が2ちゃんねる中に散り、本当に2ちゃんねる全体が、ハングル板と化してしまったのです。
 なんと、SF板や、クラシック板、文学板にまで嫌韓スレが立つ時代です。何も、ハングル板に拘る必要がなくなったのです。
 おまけに、少なくともネット上では、従軍慰安婦や強制連行については、議論され尽くしてしまいました。
 過去ログを読めば、コリアン側が、完全に論破されているのは明白になってしまったのです。
 これでは、議論が活性化しようがありません。
 ハングル板を見始めた当初、スピノザは幼女誘拐強姦≠ニしての、いわゆる従軍慰安婦の強制連行、という神話を信じていました。朝鮮人強制連行もです。
 それだけに、それが嘘、捏造だと知ったときは、激しい怒りに襲われました。その怒りの対象は、朝日新聞であり、毎日新聞であり、NHKであり、なかんずく韓国人でした。
 しかし、時は流れ、怒りが収まってくると、だんだんスピノザは笑い出したくなりました。
 なんてちっぽけな奴らだ。と。
 朝日新聞や毎日新聞やNHK、そして韓国人のことです。
 このうち、朝日新聞や毎日新聞、NHKなど。いわゆるマスコミは、スピノザたち日本国民が命を賭けて戦うべき相手です。スピノザたちの世代が、スピノザたちの責任において、どうにかしなければいけない問題です。
 しかし、韓国人は違います。

 彼らは、スピノザにとってナム≠ナす。

 スピノザと韓国人には、なんの関係性≠烽りません。
 韓国人も、北朝鮮人も、己の運命に従って、栄えるなら栄えればいいし、滅びるなら滅びればいいのです。
 我々、日本国民とは、無縁の存在です。
 最近読んだ、次の一文をどうしても読んでいただきたくて、ここに挿入します。

――「思いやり」という言葉
 一学期が終わって日本人学校に通っている娘が通知表をもらってきました。担任 の先生の所見欄を見ると、娘は「思いやりがあり・・・」と書かれています。韓国人 の妻は、「ここのところ、よくわらからないから全部韓国語に訳してみて」といいます。スピノザは困りました。というのは以前、日本に長く住んでいる韓国人の友人から「韓国語に絶対訳せない日本語があるんだけど何だか知っているかい?」とたずねられた事があるのです。それがまさにこの思いやり≠セったのです。
 辞書を見ると韓国語で「同情すること」「推測すること」などとなっています。しかしこれでは思いやり≠ニいう言葉に含まれた深い気持は表現できません。結論から言ってしまえば韓国人は思いやる≠ニいうことをしません。そういう言葉がないということは、そういう気持も、そういう行為もないことになります。
 小さいときから、家庭教育、学校教育、社会教育の中で思いやり≠ノ類したことは全く教育されていないのです。韓国では幼稚園でも小学校でも、日本のように「皆と仲良く」とか「他人に迷惑をかけるな」という教育を一切やりません。反対に、一貫して強調されているのは、「一番になれ」「他人に勝て」ということです。(中略)
 私が韓国で娘たちと公園へ行くとよく目にする光景があります。それは例えばブランコの前で子どもたちが順番を待っているところへ、子どもを連れたお母さんなり、おばあさんがやってきます。すると並んで待っている子はおろか、ブランコに乗っている子も引きずり降ろしてその大人の連れて来た子がブランコに乗ってしまうのです。その他の子どもたちもそれをまたごく当然の事として受けとめているのです。
 良い悪いは別にして、これが韓国人の行動パターンの原型です。自分の事しか考えないのです。他人のことを思いやったり、他人への迷惑を気にするのはバカげた事なのです。
(中略)
 日本人と韓国人は似たように見えてもこれほど違う民族なのです。――

 これは、ネットに転がっていた一文です。最初は、いくらなんでも、これはないだろう、と思いました。
 ところが、ソースの書籍名が書いてありました。
「妻をめとらば韓国人?」篠原令著。文藝春秋。という書籍です。
 早速買って、読んでみました。
 書いてありました。冒頭、p20です。
 さすがに、呆れかえりました。
 ことほど左様に、韓国人というのは、日本人の美意識と合わない人々なのです。
 著者の、篠原令という人は言います。
「反日感情といい、嫌韓感情といい、この『感情』ほどやっかいなものはありません。感情の融和を図る方法はひとつしかありません。思想を統一する。つまり考え方をひとつにするしかないのです」
 え! なに、それ?
 怖い!
 なに、その1984年!
 p54に書いてある一文です。
 コリアンや、それにシンパシーを感じる人というのは、どうしてこうも思いやりがなく=A押しつけがましいのでしょう。
「思想を統一する」
 こんな、北朝鮮みたいな発想が、すぐに湧いてきて疑問に思わない人は、例え両親が日本人でも、精神は日本人ではないのでしょう。
 スピノザ自身は、やはり、韓国人・コリアンとは分かり合えない。
 しみじみそう思いました。
 そんなわけで、スピノザは、

 日韓関係は、断絶した方がいい。

 と思っています。
 要するに、国交断絶ですね。
 今、北朝鮮とは、国交を結んでいませんから、ちょうどいい。
 このままでいいと思います。
 分かり合えない。生きる美学が違うんだから、しょうがない。
 在日コリアンの方々には、お帰りいただく。帰る国のない難民とは根本的に違います。帰るべき祖国があるんですから、韓国籍の方も、朝鮮籍の方もそれぞれの祖国にお帰りいただく。
 その前提条件として、まず拉致被害者は、戦争をしてでも奪還しなければなりません。
 それは、日本人として、日本国家としての神聖な義務です。
 それから、竹島もどうしても奪回する必要があります。
 領土問題というのは、一歩でも譲ってしまうと、ずるずるとどこまでも譲歩せざるを得なくなります。土地は大切なのです。
一所懸命=Aという言葉の由来を見ても、そのことはよく分かります。これも、戦争に訴えてでも、取り返す必要があります。
 スピノザは、大学生の時に、自衛隊を巡って友人と口論になった経験を持ちます。その頃のスピノザは、大江健三郎の影響を受け、「自衛隊は、私たちの世代の恥だ」と本気で思いこんでいました。
 九条は、絶対だと思っていたんですね。
 友人は、現実主義者で、よその国から攻め込まれたとき、どうするんだと聞いてきました。スピノザは、上陸を阻止するために、日本中を有刺鉄線で囲えばいい、と苦し紛れに言ったものです。
 要するに、馬鹿≠セったのです。
 でも、結婚して、なかんずく子供が生まれたとき、スピノザの心情は劇的に変化しました。

 自分だけなら、理想のために死ねる。

 殺すよりは、殺された方がいい。
 そう考えていたのが、守るべき対象、無力な赤ん坊を見た瞬間、世界観がぐるりと回転したのです。

 守るべき者を守る。

 これは、大人として最低の責務です。
 子供を守る。
 国土を守る。
 歴史を守る。
 これらは、すべて私たちが行うべきことです。
 担うべき、重荷です。
 そのためには、北朝鮮はもちろんのこと、韓国も敵です。
 しかも、彼らの背後には、中共という、厄介で強大な敵がデンと控えています。
 守る、ということの大切さが、今ほど問われている時代も、そうそうないと思います。まさに、江戸時代末期から明治初期の国家的危機の時代と同様の時代なのです。
 その思いが、今も重いうつ病でなかなか動かない体を、パソコンに向かわせました。
 コリアンについては、2ちゃんねるで、よくこう言われます。
「敵に回すと、これほど頼もしい存在もない。
 だが、味方になられてしまうと、これほど厄介な存在もない」と。
 この辺の事情は、朝鮮戦争の成り行きを見ていると、よく分かります。でも、この本で触れることはできませんでした。
 さらに、こうも言います。
「だいたい、隣国と仲良くなんてのが幻想なんだよ。
 仲がよければ別の国になってねえし」
 と。
 全く同意します。
 スピノザは、コリアンの生きる美意識≠ノ全く共感できません。
 むしろ日本人は、コリアンを反面教師として、独自の美意識を再構築できるようにさえ思います。
 それは、人として、国として生きるための美意識です。
 人間は、理屈や利益だけで生きていくことはできません。

 まさに「人はパンのみにて生くるにあらず」なのです。

 生きるためには、美学が必要です。
 そういう美学を、私たちは先人から受け継いできました。それを毀損することなく、後世に伝えていかなければなりません。
 スピノザは御仏ならぬ凡夫ですから、韓国人の歪な価値観を許すことができません。
 山野車輪さんのように、本当の日韓友好、などという綺麗事≠ヘ言えないのです。
 韓国はナム≠ナす。
敵≠ナす。
 朝鮮とは、縁を断ち切ること。
 まさに福澤諭吉翁が仰ったように、敢然として脱亜≠キべし。
 これがスピノザの結論です。
 最後まで読んでいただいて、どうもありがとうございました。

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