home > > 序 2


 さて、こんなサイトを運営するくらいですから、スピノザは今は′刳リです。
 でも、昔から嫌韓だったわけではありません。
 むしろ、親韓と言ってもいい人間でした。
 スピノザの高校の同窓生には、韓国からの留学生がいました。同じ合唱部仲間でしたので、合宿の際には、同じ釜の飯も食いましたし、一緒に風呂にも入りました。
 彼の成績は、正直言ってたいしたものではありませんでした。成績上位者のランキングに、顔を出したこともありません。それなのに、大阪大学の医学部に進学しました。田舎の三流進学校だった我が母校からは、トップクラスの者でもなかなか合格できない大学・学部です。
 でも、それがずるいとも思いませんでした。
 留学生に、何らかの優遇措置があるのは、当たり前だと思っていたからです。
 差別意識なんて、もちろんありませんでした。
 彼は、韓国に帰り、今では大きな病院の院長に出世しているようです。

 そんなスピノザがどうして嫌韓になったのか。

 それを説明するために、少し自己紹介をさせていただきます。
 スピノザは、昭和28年に生まれました。この文章を書いている時点で59歳。いい加減のオサーンです。ネットウヨクの若者ではありません。
 職業は教師でした。去年、病気で退職してしまいましたが、世界史を中心とする社会科を教えていました。

 え! 日教組?

 そうです。スピノザは、かの悪名高き日教組の組合員でした。ですから、スピノザは「普通の人」どころか、ネットウヨクとは対極にいる左翼だったのです。
 とは言っても、バリバリの活動家、というわけではありませんでした。ただのノンポリに近い平組合員でした。
 でも、組合には積極的に加入しました。フランス革命などの勉強を通して、権利は連帯して戦い取るもの、と考えていたからです。
 そして、日の丸・君が代反対闘争には熱心でした。
 スピノザは、趣味で合唱の指揮者をやっています。その関係で、ピアノ伴奏をする音楽の教員に代わって、校歌や「仰げば尊し」などの指揮をすることがよくありました。
 そういうときでも、君が代の指揮は拒否しました。職員会議でも、よく校長と対立していました。
 ですから、スピノザは、右、左を言うなら、確実に左翼でした。いや、過去形ではなく、今でも、スピノザの立ち位置はリベラル・レフトだと思っています。
 現に、我が家では天皇陛下を普通に「天ちゃん」と呼びます。
 雅子様、と言ったら、故、夏目雅子様のことです。
 皇太子妃殿下ではありません。

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