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8 不思議の国のウ

 ウリ、というのは、日本語ではなかなか説明しにくい概念です。
 無理矢理訳してみれば、我々、私たちみんな、といった感じになると思います。韓国には、ヨルリン・ウリ党、という政党があります。訳してみれば、みんなの党。あれ、日本にもありますね。
 でも、この場合のウリと、日本語の、みんなは、だいぶ意味合いが違います。
 韓国人がウリナラ、という場合、我が国、大韓民国を指します。ウリミンジョク、という場合は、私たち朝鮮民族、という意味になります。ウリミンジョク・キリ、と言えば、私たち民族同士。北朝鮮が、韓国を懐柔するときに使う言葉です。
 一方で、ウリというのは、私個人、という意味にもなります。日本語で、みんな、とか、私たち、とか言ったら、私個人、という意味にはなりませんね。
 例えば、恋人のことも、恋人の名前がソナだった場合、ウリソナ=私のソナという風に使うようです。
 この辺が、ウリの独特なところです。
 ウリの用例をもう少し見てみましょう。スピノザが読んだいくつもの例から、典型的な特徴を抜き出し、少々極端≠ノ、カリカチュアライズすると、次のようになります。
 私の家族は、ウリです。恋人、友人もウリです。知人もウリです。
 さあ、この辺から、微妙になってきました。日本人の感覚と乖離し始めるのは、この辺りからです。
 あなたが、韓国人Kさんと、韓国で行われたとあるパーティーで隣の席になりました。そこで、取りあえず、名刺を交換し挨拶しました。
 さあ、ここです。
 この瞬間、あなたはKさんのウリ≠ノなってしまったのです。
 ウリになってしまうというのはどういうことか。
 韓国人は、ウリの内側では、無限に甘え合います。互いに迷惑をかけ合い、もたれかかり合うことで、互いの信頼関係を確かめ合います。
 そこで、Kさんは、あなたにいくら迷惑をかけても、ウリなのだから許されるんだ、と考えます。
 この甘える、というのも、韓国文化の特徴です。「甘えの構造」なんて本がありましたが、そんな甘い≠烽フではないのです。
 特にオモニ(母親)には無限に甘えます。だから、四十、五十面下げた大の男が、母親の膝枕で昼寝をする、なんてことが日常になります。テレビのCMで出てくるくらいですから、韓国人的には当たり前の風景なんでしょうね。(スピノザは、このCMの動画をユーチューブで見ました。正直、ちょっと気持ちが悪かったです)。
 あなたとKさんは、その後も知人を介して数回会います。日本の基準で言えば、友人、知人とまでは言えないが、まあ顔見知り程度のつきあいになりました。
 さて、あなたは日本に帰ってきました。
 ところが、ある真夜中に電話が鳴ります。こんな時間に誰だろう。不作法な。と思いながらも、あなたは知人の誰かが倒れでもしたのだろうか、という胸騒ぎを覚えながら電話に出ます。
「やあ、Kです。久しぶりです」
 K?
 Kって誰だ? そんな親戚や友人はいないぞ。あなたは、不審げに聞き返します。
「Kですよ。忘れてはいないでしょう。あのパーティーの時に会った」
 思い出しました。しかし変です。Kさんとあなたは、名刺交換の後、ほんの数回会っただけです。こんな真夜中に電話をかけてこられてもいいような、親しい関係ではありません。
 でも、相手はお構いなしに、どんどん話を進めていきます。
「今、大阪空港にいます。迎えに来てください」
 あなたは仰天します。あなたの自宅は東京なのです。非常識もいいところです。でも、Kさんはそんなこと斟酌せずに、待ち合わせ場所の目印などをどんどん一方的に決めていきます。
 この先は、あなたがどれくらい気の強い人か、または気の弱い人か、で話の流れは変わっていきます。
 あなたが、Kさんを非常識だと怒るぐらい気の強い人なら、この先Kさんとの関係は断ち切れそうです。その代わり、
「やはり日本人は冷酷だ。情け知らずの人非人だ」
 と小一時間怒鳴られ続けることは、覚悟しなければいけません。
 あなたが標準的な仕様の日本人なら、泣く泣く、眠い目をこすりながら大阪まで車を運転していく羽目になります。
 そして、
「どうしてこんなに遅いんだ」
 と延々と苦情を言われるはめになります。
 標準的な韓国人は、韓国より日本の方が広い、という事実を認めたがりません。ですから、東京・大阪間が、一時間もかからないと思い込んでいるのです。
 日本人的な感覚でどんなにおかしいと思っても、押しの強い韓国人に押し込まれてしまうんですね。
 さて、ここまで読んで、Kさんが、あなたを一心同体の竹馬の友、盟友扱いしていることはお分かりいただけたと思います。
 ただ名刺を交換しただけで、一瞬にして竹馬の友になってしまうのです。むしろ、家族扱いと言ってもいいかも知れません。
 そう言えば、韓流スターのペ・ヨンジュン氏(スピノザが顔を判別できる、ただ独りの韓流スターです)が、ファンのことを家族と呼んでいることは、そこそこ知られていると思います。この一言で、韓流ファンのオバサマたちはころりと参ってしまうんでしょうね。
 こんな話、あるはずがない! お前の妄想だろう。と思われるかも知れません。
 残念ながら、これはスピノザの妄想でも何でもありません。少々カリカチュアライズされてはいますが、これと同様な体験をした人が、一人や二人ではないのです。これは、何冊もの本にも載っている実話を総合したものなのです。
 一応、似たような話のソースを挙げます。
 以下、古田博司筑波大学助教授(当時)の著書「朝鮮民族を読み解く」(筑摩書房)p16からの引用です。

――スピノザが下関の大学に勤務していた頃の話である。
 ある日突然、韓国の親友から電話が入る。今東京に着いた、君もすぐ来いという。西も東も分からないから案内せよ、と。当地から東京まで新幹線で六時間以上もかかることを、彼は考慮しない。――

 と、まあ、こんな具合なんですね。
 この場合は古田氏の親友ですから、情状酌量の余地ありですが、前述の例と似ていることは、ご理解いただけると思います。


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