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9 ウリ百態

 さて、仕切り直して、そんな古田先生の場合のように親友というわけではない、単なる知人、顔見知りの例を挙げます。
 手元にある「韓国女性『厚化粧』の裏側」(小学館)という本から、二つほどエピソードを引きます。在韓日本女性ユニオン、というグループが書いたものです。
 まずp110から引用します。
 韓国人のオンニ(おばさん)が、日本人のNさんのところに遊びに来た場面です。( )内はスピノザ。

――私は、国産(韓国産?)アイスクリームは甘すぎるし、口に合わないので、自宅の冷蔵庫にはいつもハーゲンダッツが入っています。親しくなれば冷蔵庫まで開けてチェックするのが韓国人。当然、冷蔵庫のハーゲンダッツはしっかりチェックされています。オンニも私の家に遊びにくると当然のごとく、真っ先に冷蔵庫を開けます。(中略)冷蔵庫からおもむろに1パイント入りのアイスの容器を取り出しました。(中略)
「お皿に取ればいいのに」と私がお皿を差し出すと、「ケンチャナ、ケンチャナ」「(いいの、いいの)」と言って容器から直接食べ続けました。そして、数十分後、テーブルには空っぽになった容器が転がっていました。
 そうです。オンニは、(1パイントのアイスクリームを)全部丸ごと食べてしまったのです。――

 こうして、Nさんは、毎日毎日、何個もの1パイント入りのハーゲンダッツを食べられてしまいます。ちょっとたまりません。そこで一計を案じます。p113です。

――「高いアイスクリームを買っておくから、私もイライラするのかも知れない」と思い、国産アイスを買って入れておきました。そうしたら、冷蔵庫をのぞいたオンニが「あら、今日はハーゲンダッツはないの?」と言って結局その国産アイスには手を付けませんでした。――

 高いハーゲンダッツは食べて、安い国産は食べない。
 何とも乞食臭い話です
 さらに同じ本から、Yさんという方の体験談。p114です。

――私は自分のカバンを横のイスにおいていました。そのカバンの隣には、ミジャさんという人が座っていました(そんなに親しい間柄ではない)。しばらくすると、横でかさかさとビニール袋の音がします。何の音だろうと音のする方を見て唖然としました。なんと、ミジャさんは、私がカバンに入れておいたパンを取り出して、ムシャムシャと食べているのです。(中略)
 せめて、「ちょうだい」の一言を言って欲しかったな、と思います。――( )内はスピノザ

 どうでしょう? いったん知人になったら、(それも、日本人の感覚ではそんなに親しくなくとも)その人のものは私のもの。韓国人は、そう考えるのです。
 他人の冷蔵庫から、一パイントもの高いアイスを取り出して平らげるのも当たり前。カバンから、勝手にパンを取り出して食べてしまうのも当たり前なのです。
 でも、安い国産のアイスには手を出さない。
 スピノザは、こういう卑しい乞食根性が嫌いです。
「ちょうだい」の一言を言って欲しかった、と、自分の方が悪いかのように、相手の心情をくもうとするYさんが健気で、哀れです。
 この本には、こうした事例がいくらでも載っています。
 この本を編集し、解説している小針進静岡県立大助教授(当時)も弁解に困ったようです。

――韓国人に物を貸すと返ってこないとか、カバンから物を取り出されたという話があったが、それは〈気の空間〉での話であって、師弟関係のような〈理の空間〉ではあり得ず、許されないことだ。「韓国人は……」と早急に一般化してはいけない。――

 と、苦しい(見苦しい?)言い訳をしています。
 ここで言う、〈理〉、とか、〈気〉、というのは小倉紀蔵氏(現在は、京都大学准教授に出世しています)が「韓国は一個の哲学である」(講談社)という本の中で、一般人に紹介したもので、朱子学のテクニカルタームです。
 まあ、早い話が、お行儀のことで、師弟関係など、改まらなければいけない関係を〈理の空間〉と呼び、気の置けない、友人同士のような関係を〈気の空間〉と、変にしゃっちょこばって言っているだけのことです。
 あけすけに言ってしまえば、簡単なことをわざとテクニカルタームを使うことによって小難しく言い、相手を煙に巻くという、例のあれですね。
 別に、インド哲学の宇宙原理ブラフマンと、個体原理アートマンのような、ヨーガの修行と瞑想に裏打ちされた高踏的なことを言っているわけではありません。詳しくは、小倉紀蔵氏の本でもお読み下さい。
 小倉紀蔵氏も、この「韓国は一個の哲学である」とか「韓国人のしくみ」(講談社)などを書いていた頃はまだ冷静で、多少まともでしたが、今では、ただの韓流伝道師に堕してしまったようです。(この文章を推敲しながら「歴史認識を乗り越える」講談社、を読んだのですが、あまりにもくだらない駄本なので呆れかえりました。コリアに、はまった人って、なんでこうもみんな論理性の欠如した、堕落した方向に行っちゃうんでしょうかねえ)。
〈理の空間〉だの、〈気の空間〉だのと言っても、それは韓国人の勝手な理屈です。日本人が、自分のカバンからいきなりパンを取られて食べられるのを我慢しなければならない、ということにはなりません。
 しかも、今が〈理の空間〉か、〈気の空間〉かを決めるのは、韓国人の恣意的な判断なのですから、お話しになりません。(小倉紀蔵氏によると、韓国人は理、と気を瞬間的に切り替えるスイッチを持つのだそうですが、当然日本人はそんなスイッチ持っていません)。
 ちなみに、小針進氏の解説は、次のような、印象的な一文で始まります。
「今まで暮らした外国の中で、良い思い出が最も作れなかった国ですわ」
 ある、外交官トップの夫人の言だそうです。
 小針先生は、必死にそんな風に考えてはいけない、と諭しているのですが、どうも効果は薄いようです。


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