16 金両基という卑怯者
さて、しつこく書きますが、金両基は、
「私はわたり合います。逃げません」
と言っています。
こう言挙げした以上、住所氏名を隠さず、明記したスピノザの反論に対して、金両基が
「返事を書くか書かないか」の
「自由」
なんぞ
無い
のは明白ですよね。
金両基には、スピノザと、
「わたり合う」
義務≠ェあるのです。
ハングル板では、よく朝鮮人は三歩歩くと自分の発言を忘れる。鳥頭である、と言われますが、それをしみじみと実感しました。心に染み入りますね。
スピノザは田舎者ですので、生コリアンと遭遇する機会は、ほぼ皆無です。ですから、こうしてリアルにその鳥頭振りを目の当たりにすると、実に感慨深いものがあります。
さらに、奇っ怪、不可思議なのは、スピノザの反論を
未読=Bつまり、読んでいないから!
「正当かどうか判断できない」、という理屈ですね。
ええっと、読まなければ正当かどうか判断できないっていうのは当たり前≠ナはないでしょうか?
日本人は名前、住所を隠してしか抗議できない卑怯者だ、と言いながら、いざ、名前、住所を晒した抗議は読まない≠ナは話になりません。
このあたり、「バカの壁」というか、バベルの塔崩壊直後の人類、というか……。
日本人には、到底理解できない不思議な論理? 言語感覚ですね。
金両基、御託はいいから、まず自著に対する反論ぐらい、
読めよ
としか言いようがありません。
「時間が取れたら」
などというのは、醜い言い逃れですね。
さらに笑いどころなのは、
「たいへん失礼ですが本当に高校の教師でしょうか。川崎市の高校教師には知人が大勢おりますので、貴方のことを聞いてみたくなりました。現在も高校の教師でしたら差し支えなければ高校名を教えていただけますか?教師がこのような乱暴な文言を使って反論?とやらをスピノザに送ってくるのであろうかという疑問が湧いてきたからです」
という部分ですね。これを読んで、ついスピノザは声に出して大笑いをしてしまいました。
ここには、櫻井さんに対して、相手が年下の女性で、卑しいジャーナリストだから、と居丈高に振る舞った、下卑た根性と同じ、腐った臭いがします。
だって、スピノザが幼稚園児だろうが、高校教師だろうが、はたまたホームレスだろうが、ノーベル文学賞受賞者だろうが、発言の価値は同じじゃないですか。
発言のソース、論理が正しいか正しくないか。
論点はその一点のはずです。
なのに、金両基は、スピノザの身分、肩書きに拘る。
まあ、先ほども書きましたが、朝鮮朱子学的には、大変正しい態度です。両班風とでも言いましょうか。金正日風とでも申しましょうか。
「川崎市の高校教師には知人が大勢おりますので、貴方のことを聞いてみたくなりました」
という一文に至っては、完全な恫喝ですね。
俺は、お前に、知人を通して圧力をかけることも出来るんだぞ、と言いたいわけですね。何せ、知人のほとんどが先輩ですから。