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3 三国人って、差別語?

 そもそも、強制連行≠ネんて言葉を造語したのは、一体誰なんでしょうか。だって、あまりにも実態と合っていない。
 それは、特定の個人です。

 朴慶植。

 という朝鮮総連系の在日朝鮮人です。
 では、なぜ朴慶植はこんなことを言いだしたのでしょうか。
 少々込み入った事情があります。
 まず、1945年8月15日をもって、日本は敗戦します。すると、朝鮮、台湾という、日本の旧併合地・植民地出身の人民は解放≠ウれます。そして、特に朝鮮人を中心に、
「俺たちは戦勝国民だ。敗戦国民の日本人とは違う」
 と主張して暴れ回ります。
 以前に、スピノザは日の丸・君が代をめぐって校長と対立していたと書きました。
 その際に、一人の校長が「朝鮮人には酷い目に遭わされた記憶しかない」と呟いていたことがありました。
 大江健三郎の小説が好きだったスピノザは、それは抑圧された植民地人が、解放されたら抑圧していた宗主国人に反抗するのは当然だ、と受け流していました。
 恥ずかしい思い出です。
(2ちゃんねるでの大江健三郎の評判は散々です。まあ、彼が過去に行った親北朝鮮発言、例えば「自分には帰るべき朝鮮がない」などを考えれば、仕方ないかな、とも思います。しかし、少なくとも初期の「死者の奢り」から、中期の「洪水は我が魂に及び」までは、文学としては優秀なものだと、スピノザは、思っています。その後は、読んでいませんが。でも、作家としては好きなんだけどなあ……)。
 こうして
「戦勝国民」
 として暴れ回る朝鮮人に、GHQが待ったをかけます。
 確かに、朝鮮人は解放された植民地人であるから敗戦国民ではない。しかし、戦勝国民でもない、と。
 そこで、誰言うともなく、三国人、という呼び方が普及し始めます。誰が言いだしたかには、諸説あるようです。
 ですから、三国人というのは、差別用語ではなく、本来威張った′セ葉なのです。
 では、どうして「三国人」に差別%Iなニュアンスがついたのでしょうか。石原都知事が、いわゆる「三国人発言」で左がかった人々から一斉に非難・攻撃されたことは、ご記憶の方もいらっしゃると思います。
 実は、この朝鮮人を中心にした三国人の暴れ方は、尋常ではなかったのです。
 例えば、「直江津駅リンチ殺人事件」という事件がありました。
 1945年12月29日、新潟発大阪行の列車に、三人組の在日朝鮮人の男が乗車しようとします。しかし、満員のため乗車することが出来ませんでした。
 そこで列車の窓ガラスを叩き割り無理やり乗車しようとしたところを、ある乗客に阻まれます。そのため、しょうことなくデッキにすがりついて次の直江津駅まで行く破目になります。
 直江津駅に到着すると、彼等三人組の朝鮮人は、自分たちを阻んだ乗客に対して、
「乗降口から乗れないので仕方なくガラスを壊して乗ろうとしたのに何故妨害した」
 と詰め寄ります。そして、
「窓から乗り込むという法はない」
 と反論されたため、
「朝鮮人に向かって生意気だ! ホームに降りろ! 殺してやる!」 と叫び、その乗客を引きずり降ろしました。
 そしてホームで、三人組は駅の備品であるパイプやスコップを持ち出してその乗客に襲い掛かり、メッタ打ちにします。乗客は頭や左眼などに十数か所の傷を負い、

 絶命してしまいます。

(ウィキより)。
 え!
 凄いですね。本当に殺してしまうんですよ!
 些細なトラブルから、人一人殺してしまうのですから、普通の感覚では理解できません。
 これはほんの一例に過ぎません。


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