14 リアル北朝鮮
さて、しかし、今現在の北朝鮮の惨状は、ご存知の通りです。
とは言うものの、この帰国事業が行われた頃の北朝鮮は、今ほど酷い状態ではなかったのです。
むしろ韓国よりも裕福でした。
大日本帝国は、寒冷な北朝鮮を工業地帯に、温暖な南朝鮮を農業地帯にしようと考えていました。それで、大日本帝国が北朝鮮に残したダムや工場などのインフラは、多かったのです。
なんと、北朝鮮は、そうしたインフラを今でも使い続けています。
ですが、それでさえも、なお復興しかけの日本から見ても貧しい国でした。朝鮮戦争の惨禍の酷さがよく分かります。
しかも、日本から帰国した人々は、よほど裕福だったり、親族に北朝鮮政府の幹部でもいない限り、パンチョッパリ(半日本人)と呼ばれて差別されました。
こうした、惨状の噂は、親族のみに分かる暗合で書かれた手紙や、口コミで瞬く間に知れ渡りました。それで、帰国する人の数は、激減しました。
さて、こうなると、在日朝鮮人には、誠に具合の悪いことになります。
三国人として、威張りたい放題威張ってきました。
あれだけ暴れたのですから、世情が落ち着いてきた日本には、居心地が悪い。
しかし、出身地である韓国からは、帰国を拒否されました。帰国を歓迎してくれたはずの北朝鮮の現状は、夢の国からはほど遠いものでした。
在日コリアンたちは、日本に残る選択を余儀なくされました。
しかし、15民族中の最下位まで転落したイメージでは、日本に残るのも容易ではありません。
帰化しようにも、密入国者は帰化できません。
先ほど書いた、徐京植の叔父なんかが、その典型例ですね。官憲がくると、叔父さん隠れろ、と言う。不法滞在者です。
これでは、胸を張って日本に居座ることはできません。
在日には、日本に居残るための、新しい物語り≠ェ必要になってきました。
そこに、ある種、在日にとっては歓迎すべき運動がアメリカで起こります。
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師による、黒人の権利回復運動です。
1960年代のことです。
これだ! と目を付けたのが、先述の朴慶植なのですね。
ああ、やっと朴慶植までたどり着きました。
在日も、アメリカの黒人奴隷のように
強制連行≠ウれてきた、
と言えば、日本に居座る口実が出来る。
彼はそう考えたんですね。
で、朴慶植は
「朝鮮人強制連行の記録」
という〈とんでも本〉を書きます。
ここからは、この「朝鮮人強制連行の記録」に突っ込んでみたいと思います。