home > 第三章 > 24 おしんと日帝


24 おしんと日帝

 こんな訳で、朝鮮農民は安い雑穀、特に満州から輸入される粟を腹一杯食べ、高く売れる米は輸出していました。
 どこへ?
 日本内地へ、です。
 競合する相手は、誰でしょう?
 当時も今も、日本の穀倉地帯となっていた、東北地方の農民です。
 唐突ですが、ドラマ「おしん」はご存知だと思います。おしんが生まれたのは、1901年という設定になっています。そして、7歳の時に奉公に出され、辛酸をなめます。
 注意してください。
 これは、ちょうど日本が大韓帝国を保護国化し、朝鮮が近代化していく時期と重なっています。
 そして、1932年に5・15事件が起こり、さらに畳みかけるように1936年には2・26事件が起こります。
 これらのクーデター未遂事件のバック・グラウンドには、青年将校や兵士たちの故郷である、東北地方を中心とする農村の疲弊がありました。
 これは、普通に授業で教えます。
 自分の妹が、幼なじみの初恋の娘が、遊郭に売られていく。それを黙って見ていられない。
 そんな思いが、青年将校や兵士たちをクーデターに走らせたのです。

――『日本農業年報』(昭和6年)には「山形県下で借金で首が廻らず、娘を人身御供に奉って金に換える者が4、500人。最上郡西小国村では15歳以上24歳未満の娘が合計467名の内、売られていった者は110名の23パーセント、みな借金の犠牲だ」と記されている。
 一君万民、君民共治の国家改造を志した皇道派青年将校は、5・15事件や2・26事件で決起したが、彼らの部下には、凶作に苦しむ東北農民の兵が多数いた。
 青年将校は娘を身売りせざるを得ない東北の惨状を深く憂えた。――(「月刊日本」2011年7月号・南丘喜八郎論文より。ただしネットソースのみ)。

 確かに、世界大恐慌という、大きな事件は背景にありました。
 しかし、それ以上に東北の農村を苦しめたのは、朝鮮から輸入される安い米だったのです。
 事実、日本政府は、朝鮮からの米の輸入を禁止しようとしますが、朝鮮総督府が強引に輸出を推し進めたのです。

「中外商業新報 1930年11月3日(昭和5) 神戸大学電子図書館システム」
――米価維持策として満洲粟の輸入を禁止か
  朝鮮総督府は極力これに反対

 米価暴落の対策として政府は外米の輸入禁止期間延長、外米関税引上げを行ったが、さらに満洲粟の輸入禁止か、または輸入数量の制限を行わんとする意あるやに伝えられている、
 満洲粟の朝鮮への輸入は相当巨額に上っているが、朝鮮米も豊作で内地米の暴落につれて低落を続け生産者は非常に困惑しているので、満洲粟の輸入を禁止するか制限するかして朝鮮米の低落を阻止すると共に内地米の価格維持の一助ともなさんとするもののようである。
 しかしこれに対しては朝鮮総督府は極力反対の意を表している、その反対理由は満洲粟は朝鮮下層民の常食で、欠く可らざる食糧であるから治鮮上困るのと、禁止すれば総督府の関税収入が、なくなるから困るというにあるが、満洲粟の輸入を禁止して果して米価維持にどれだけの効果があるかも疑問だというに在る
 しかし米価がこれ以上暴落し政府手持米の海外輸出が、どうしても不可能だとすれば政府としても満洲粟の輸入を禁止するか、制限するか、何れかの方法をとるのではないかと見ている向がある。 ――(改行スピノザ)

 朝鮮総督府は、誰のために日本政府に逆らってまで朝鮮米を輸出しようとしたのでしょうか?
 朝鮮総督府の関税収入のため?
 スピノザ、自爆しましたか?
 いやいや、そんなことで、内地の農民の反感を買うようなことをするでしょうか? 同じ日本人なのに。
 じゃあ、なにがしかの賄賂とか、その他自分の個人的利益のため? 総督とか、総督府の役人が、莫大な私的利益を得ていたとか? 
 いや、それはおかしい。
 イギリス東インド会社の社員たちは、インドで途轍もない利益を上げました。一応、給料という名目ながら、それはそれは大変な額を懐に入れたのです。
 そのため、成金状態になった人を、ネイボッブ(インド成金)nabobと言いました。金はあるが、汚いことをしてきたと蔑まれていたのです。(ネイボッブとはインドの太守を意味する言葉、ムスリム貴族「ナワーブ(nawab)」に由来します)。
 その有様は、
「ベンガルの贅沢と怠惰の中で育った人はイギリスで生計をたてることは絶対にできない」
(ロバート・クライブの言葉。浅田寶著「東インド会社」講談社p187)
 といった具合だったと言います。
 スピノザは、寡聞にして、朝鮮総督府の役人が、そんなに巨額の私的利益を得ていたという話は聞いたことがありません。
 そんな事実はなかったと思います。
 では、誰のために?
 朝鮮農民のために決まっています。
 これが、史上最悪の悪辣≠ネ植民地支配を行っていた、悪名高い非道な「朝鮮総督府」の正体です。
 これ以上突っ込むのも、野暮でしょうか。
 でも一つだけ、コリアンは日帝支配下で命を奪われた、と言いたがります。
 これ本当でしょうか?
 1910年、日韓併合の年の、朝鮮人の平均寿命は25才です。随分短いですね。まあ、李氏朝鮮の資料を使った統計が、どこまで信用できるかは分かりませんが。(苦笑)
 で、1944年、日本統治も終わりに近くなった時の平均寿命が、45才です。20年、寿命が延びています。
(前掲、松木論文p78)
 果たして、生命を奪ったのでしょうか?
 ご判断にお任せします。 
 でも、まあ、この調子だと、みんな妄言で終わりそうですね。
 なんだかなあ。


次へ

inserted by FC2 system