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8 キムチ的理論家

 一応、朝鮮朱子学にも、ちゃんとした理論家はいるんですよ。
 李退渓(イ・テゲ)と李栗谷(イ・ユルゴク)の二人が有名です。というか、この二人しかいないのかな?
 李退渓の方は、日本の林羅山や山崎闇斎なんかにも影響を与えています。
 李退渓は〈理〉を重んじ、李栗谷の方は、〈気〉を重んじる学風なのだそうです。
(邊英浩、前掲書。p19)
 李退渓は、外と内の「理」が「一理」でつながっている、という理論を利用して、政治などの外部に煩わされず、自らの内面の修養、統制に勤め、ささやかな満足感を得て生きることを主張します。
(下川、前掲書p163)
 まあ、退渓は、党争からも超然としていて、王から度々仕官するように請われるにも関わらず、何度もそれを断っています。
 こういう思想、態度はちょっと禅と似ていますが、禅は修行して仏になれば、それが衆生の済度につながります。自分一個人の安心立命、ささやかな満足感が目的ではありません。
 その点が、大きく異なります。
 また、朝鮮儒教に限った話ではありませんが、スピノザは儒教には、
 祈りがない。
 と思うのです。祭祀だけがあって、祈りがない。
 神をも、祭祀で操れると思った、原始的なバラモン教と同じです。
 小倉紀蔵氏によると、天という超越的なものを設定しているかに見えて、結局人間中心主義に戻ってくる。それが、孟子以降の儒教だ、と言うのですね。
(「韓国人のしくみ」講談社。p179)
 全ての事物の主体が、人間だというのは、まさに北朝鮮の主体思想≠サのものですね。(苦笑)。
 だからでしょうか。儒教には、超越的で、圧倒的で、ホモ・サピエンスなど塵芥とも思っていない偉大な存在、宇宙≠ノ対する畏れ、のようなものが微塵も感じられません。
 物理学と、インド哲学を学んだスピノザには、この儒教の人間≠フ傲慢さが理解できません。
 下川先生は、こういう李退渓の態度は、李氏朝鮮の中世社会が安定していたからだろう、と述べていらっしゃいますが、ちょっと待てよ、と言いたくなります。
 自力では、水車が作れなかった社会が、安定していたのかな? 当時は、農業こそ国家の大事ですし。
 でもまあ、今の北朝鮮も安定していると言えば、安定しているわけですが。
 それは、庶民にとって幸福な安定だったんでしょうか?
 仏教徒のように、衆生を救おうとは、思わなかったんでしょうか。
 李栗谷の方は、後にも書きますが、割と積極的に政治に参加(アンガージュマン)しようとします。
 彼は、自分も属する士林派が、ともすれば現実無視の空理空論に走るのに対し、なんとか学問と実践を結びつけようと苦闘します。
(姜在彦、前掲書p294)。
 ま、無駄骨だったんですけどね。


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