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10 三国遺事の壇君神話

 この、壇君神話は、一然というお坊さんがまとめた、私撰の歴史書「三国遺事」に出てくる神話です。
 一然がこれを書いたのは、1270年代後半から1280年代中頃と推定されています。
 でね、スピノザ、前から、この檀君神話をちゃんと読みたいと思っていたんですよ。
 三国遺事の本文で。
 アマゾンで検索したら、三国遺事はありました。本当に、日本人は何でも翻訳する。
 でもね、安くても、1万五000円もするんですよ。これはちょっと手が出ないなあ。
 なんて悩んでいたら、その三国遺事の檀君神話の部分が載っている本を見つけました。室谷克美著「日韓がタブーにする半島の歴史」新潮社。という本です。
 ありがたやありがたや。
 で短いので、その全文と室谷先生による訳文を次にあげます。改行や句読点も、室谷先生のものを、そのまま使わせていただきます。
 では。p152〜155です。

――魏書伝、乃往二千載有檀君王倹。立都阿斯達〔経伝無葉山。亦伝白岳、在白州地。或云在開城東、今白岳宮是〕、開国号朝鮮。与高同時。
 古記云、昔有桓因〔謂帝釈也〕庶子桓雄、数意天下、貪求人世。父知子意。下視三危太伯、可以弘益人間。乃授天符印三箇、遺往理之。
 雄率徒三千、降於太伯山頂〔即太伯今妙香山〕神檀樹下、謂之神市。是謂桓雄天王也。将風伯雨師雲師、而主穀主命主病主刑主善悪、凡主人間三百六十余事、在世理化。
 時有一熊一虎、同穴而居、常祈于神雄、願化為人。
 時神遺霊艾一シュ(火偏に圭)蒜二十枚曰。爾輩食之、不見日光百日、便得人形。熊虎得而食之忌三七日、熊得女身。虎不能忌、而不得人身。
 熊女者無与為婚、故毎於檀樹下、呪願有孕。雄乃仮化而婚之、孕生子。号曰檀君王倹。
 以唐高即位五十年庚寅〔唐高即位元年戊辰。則五十年丁巳、非庚寅也。疑其未実〕。都平壌城〔今西京〕始称朝鮮。又移都於白岳山阿斯達。又名弓〔一作方〕忽山、又今彌達。御国一千五百年。周虎王即位己卯。封箕子於朝鮮。檀君乃移於蔵唐京。後還隠於阿斯達為山神。寿一千九百八歳。――( )はスピノザ。

 以下が、室谷先生による訳文です。
――『魏書』によると、今から2000年前に檀君王倹が現れて、阿斯達〔『経』によると無葉山、または白岳といい、白州の地にある。あるいは開城の東という。今の白岳宮のことだ〕を都とし、国を開いて朝鮮と呼んだという。
 高(スピノザ=室谷先生・注=中国の古代伝説に出てくる五帝の一人である「堯」のこと。東洋の近世までの文筆習慣で、自国の王の諱=没後の諡号=にある字を避けて別の字で表記した)と同じ時代だ。
「古記」によると、むかし桓因〔帝釈(天帝)ともいう〕の庶子である桓雄はしばしば天下に思いをめぐらしては、人間社会を非常にほしがっていた。
 父は子の心を知り、三つの高い山の一つである太伯を見下ろし、人間に益を広めるべしと結論した。そこで桓雄に天符印3個を授け、人間社会を治めに行かせた。
 桓雄は歩兵3000を率いて、山頂〔即ち太伯山、今の妙香山〕の神檀樹の下に降りた。ここを神市と言い、これが桓雄天王だ。風の神、雨の神、雲の神を将いて、穀、命、病、善、悪など、およそ人間の360余事を司り、人間を教化した。
 時に、一頭の熊と、一頭の虎が同じ穴に住んでいて、人になることを願い、桓雄に向かって常に祈った。
 ある時、桓雄は霊験あらたかな艾1束と蒜20個を与え、「お前たちがこれを食べ、日光を100日見なければ、人の形になれるだろう」と言った。熊と虎はこれを食べ、忌むこと21日(訳注=3×7の意)で、熊は女身になった。虎は忌むことができず、人身に変われなかった。
 しかし、熊女と結婚する者はなく、熊女は檀樹の下に来ては孕むことを願った。そこで桓雄が人に化けて熊女と結婚し、子を産んだ。それが檀君王倹だ。
 檀君は唐高(堯)の即位から50年の庚寅〔唐高の即位元年は戊辰であり、50年なら丁巳であり、庚寅ではない。本当のところは解らない〕、平壌城〔今の西京(訳注=今の平壌のこと)〕を都とし、初めて朝鮮と称した。
 やがて都を白岳山の阿斯達、弓〔方〕忽山、今彌達へ移した。その国は1500年続いたという。
 週の虎王(訳注=諱の関係で、武王のこと)が即位した己卯、箕子(訳注=殷王の親族に当たる賢者)を朝鮮の支配者に任ずると、檀君は蔵唐京に移り、後には阿斯達に隠れ戻り山神になった。没した時は1908歳だった。――

 と、以上が「三国遺事」に載っている檀君神話の全文です。漢文だと、たったの400文字弱。
 これが全てだそうです。
 ううむ、日本神話やギリシャ神話、北欧神話なんかの豊穣さと比べると、やっぱりちょっと物足りない気がしますね。


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